こ、こーひー………(激務に次ぐ激務で疲れすぎるあまり、カフェインを欲する人の図)
令和ちゃん「えっと、暦の上では春なんだよね?」
令和ちゃん「ちょっと春の練習しとこ…(14℃まで上げる)」
令和ちゃん「よしうまくいった、これで春になっても大丈夫だね〜! 冬に戻しとこ(−6℃に戻す)」
アアアアアアアア!!!「私」
(自律神経が狂う)(体調ガタ落ち)
パウンドケーキは、全ての材料(卵、砂糖、サラダ油、米粉)が100gずつあればできるので、何も考えたくない時でもサッと作れる良いお菓子だと思う。
今回の発見は、いつも米を炊くのに使っているメスティンが、ケーキ型の代わりに使えるということ。
スパムが来ていたらしいという情報を何度か見かけるたびに、次は、私も通報に協力しようと構えるのだけど、どうしたことか毎回気付く前にスパムが消滅している。
鯖缶含む皆さま、迅速な対応をいつも
風邪とか疲れとかそのほか諸々を薬やサプリで抑えながら1週間仕事したので、今、その反動で動けなくなっている。
いいんだ、今日は布団の中でゆるゆる過ごすって決めてたからいいんだ
食べ物も少し腹に入れておいたから大丈夫
あと少し休んだら、部屋の物を片付けておこう…
映画『コーダ あいのうた』と、アメリカ社会の福祉に対する考え方について(3/3)
そりゃあ、生まれてからずっと手話通訳をさせられてきた子どもにとっては、たまったものではないだろう。
今まで、聴家族のもとで生まれ育った子どもと同じように『子どもらしく』生きることもできず、本来は大人が担うべき手話通訳を引き受けるヤングケアラーだといえる。
この映画は、アメリカの社会福祉の考えが入ってはいるけれど、アメリカだけでなく世界中でも起こっているCODAのヤングケアラーとしての面が強く引き出された内容だといえる。(3/3)
※CODA(コーダ):Children of Deaf Adults
ろう、難聴の親から生まれた聴者の子ども。
ろう、難聴の親をもつ大人に対してもCODAと呼ぶ。
映画『コーダ あいのうた』と、アメリカ社会の福祉に対する考え方について(2/3)
当事者からの支援の申し込みがないのに、周りの人が勝手に配慮しようとしたり、助けようとしたりすることは基本的に無いと思っていい。
当事者からすれば、助けてほしいと言ってないのに勝手に手を出されるのは「余計なお世話」にしかならないからね。
アメリカの社会福祉は、そういう仕組みになっている。
だから、映画の中で聴者が ろう家族に配慮するような行動がないということは、ろう家族から「この点で困っているから支援してくれ」という申し込みが出ていないからだと思われる。
ろう家族は、今まで聴者の子どもに、幼い頃から色々な場面で通訳をさせることで、聴者と同じ量の情報が得られていると判断している。
だから、周りからの支援は不要だと ろう家族でさえ思っているのではないだろうか。(2/3)
映画『コーダ あいのうた』と、アメリカ社会の福祉に対する考え方について(1/3)
まず、めちゃくちゃ長い。
ごめんな、適当に読んでくれ。
閑話休題。
映画『コーダ あいのうた』は「アメリカ社会の福祉に対する考え方」が知識として必要になってくるなって改めて思う。
なので、映画の中で ろう家族に対して周りの聴者が配慮してない…と感じる点に関して、ちょっとだけ私見を述べたい。
そもそも、アメリカでは ろう者含む障害者の支援のスタートは「当事者から支援を申し込む」ことから始まる。
支援の申し込みがあって、そこで当事者の要望を聞いて、それに合わせた様々な支援がなされる…という流れになっている。
反対に、障害者から支援の申し込みがない場合は「支援の必要なし」と周りは判断して動く。(1/3)
疲れている時に靴下の同じ柄同士を探すのがしんどくて、それなら同じ柄の靴下をたくさん買えばいいやん! と同じ柄の靴下を大量に買ってきた。
今日早速履いてみたら、右と左とが決まっているタイプだったので、もぉマヂムリ。。。ペア探しの難易度上がった。。。。。。
コーヒー氷にミルクを入れるとおいしい。/I'm Deaf