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昨日の晩からずぅっと考えごとをしていて、きっかけはクリスマスソングの世代別〜みたいなテレビ番組を母が観ていて、10・20代の選んだクリスマスソングがSEKAI NO OWARIのDragon Nightだったこと。
Fukaseさんが第一次世界大戦のときのクリスマス休戦を題材にして作った曲だ、とファンの方が仰ってて「そうなんだ」と驚いてから、ずぅっと考えていて。

今日は自分が過去に「ハクソー・リッジ」を映画館で見て書いたブログ記事(どちらも現在は非公開、近いうちにリライトしたい)を読み直して、また考えてた。

Ubuさんをゲ謎のブログ記事で知ってこちらでフォローし、UbuさんがBTしてるのを見てコインさんをフォローし、興味深くて追えるだけ過去のトゥートを拝読してから、今まで言語化できてない、知らなかったことで突き止めることができてなかった観点を得たことで、こう、二次元のグラフが三次元になったみたいな感覚で、これまで思考してきたことを三次元で置き換え作業をし続けてる感じ。

その考えごとのなかで、植民地化すること・されること、植民地化された結果、した側と同化していると感じる自分自身はどう成り立ってきたのか。言語か、教育か。アイデンティティは何によって規定されていくのか……。

ひとまずメモ。

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