マジェ配信の同時試聴会夜After missionとか守り手とかの話(チェズモク) 

After missionの「守ることが自分自身の幸福に繋がるかもしれん」の話をずっと噛んでるんだけど、「守り手」であることがモクマさんが自分の意志で選んだモクマさんの幸福であるということにハーー…ってなるんだよほんと(しかも今のモクマさんは「マイカを守る」とかじゃなく、マイカも大切だけど里には残らずチェズレイとともに出立して、一番の守る対象がチェズレイであるということを何度でも噛み締めてしまう闇バのおたく)
「守り手であれ」というのは最初は「べき」論というか、里の価値観忍びの価値観として幼少期から刷り込まれたような部分もあったかもしれない(それでも当時のモクマさんもそれを自分の意志として夢だと思っていたが)、でも里を出て色んな経験をしてどんな選択でもできる大人になってなお自分は守り手でありたいと思い今を選び取って、そのいまをモクマさんが幸福だと思ってるのが私は嬉しい かつて憎んだ己の力を、守るために使えることがモクマさんの幸福につながっていることが嬉しい
(これに関してもし今なお受動的・刷り込まれただけの価値観だったとするならチェズレイはそれを見つけるだろうし黙ってないだろうしとも思う)

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ちょっとタンバさまとモクマさんの話(タンバさまへのネガティブな要素もあるので注意) 

モクマさん視点からすればタンバさまはすごいお人で、モクマさんは確かにあのときタンバさまを敬愛していたし実家を出て一人で修行に来たモクマ少年にとってタンバさまの存在はものすごく大きかったと思うけど、でもタンバさまもすべて「正しい」人ではなかったと思う
フウガについてまだ幼いモクマさんに期待と望みをかける前に親として大人としてやれること、やるべきことは絶対にもっとあったと思うし、そりゃ長い目で見たとき同世代のモクマさんにフウガのストッパー役を担ってほしくてそれを見据えて育てるのは分からなくはないが、子どもに責任を押しつけすぎではないか!?当時の里の価値観や倫理観が現代社会と違うのも(例えば忍びとしての美徳とか、忍びはある程度もう子ども扱いじゃないとか)あったのかもしれないが…
でももう大人の年齢の私からみれば少年期のモクマさんもさることながらあの件が起こった18歳時点も子どもだよ!!って思うから…
大人として親としてタンバさまはフウガに向き合うべきだった、があの件で一番でかいと思う けど、モクマさんがタンバさまに貰ったあたたかさとか光とか夢とか、それでもタンバさまを敬愛する感情も誰に否定されるものではないとも同時に思う

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