【ぼっちアフタヌーンティー】

12月某日。日野川は奈良県某所にある高級ホテル前に立っていた。自動ドアの前で躊躇していると、来客に気付いたホテルマンがいかにも洗練された仕草で「こちらへどうぞ」と案内の手を差し伸べてくる。恐る恐るロビーへ歩みを進めると、そこには巨大なクリスマスツリーが鎮座しており、庶民には手の届かない輝きを放っている。眩しい。

ロビーから繋がるラウンジには座り心地の良さそうなソファが並んでおり、その一つ一つに柔らかなクッションが用意されていて、壁沿いの棚には気の利いた調度品が置かれている。平日の昼間なので比較的人は少ないものの、昼下がりの談笑を楽しむマダムたちや、落ち着いた佇まいで会話を交わす夫婦らの姿があった。そんな人々を横目に、日野川はスマホの画面を凝視しつつラウンジのカウンターへと向かった。上品なユニフォームを纏った女性が近付いてきて問う。「ご予約のお客様ですか?」まだ20代だろうか、若さ溢れる笑顔が美しいホテリエの女性に日野川は答えた。「昨日予約を入れさせていただいた、日野川という者です」……すぐに彼女は「日野川様、いらっしゃいませ。あちらのお席にご用意が出来ております」と言葉を返す。指し示されたテーブルの上には、2人分のティーセットの用意がされているのが見えた。僅かな間を置いて、日野川はようやく切り出した。

「すみません、諸事情ありまして私1人なんですけど大丈夫でしょうか?」

……ここで話は昨夜に遡る。厳密にいえば今日、日付が変わってしばらく経った丑三つ時の出来事だ。自室で安らかに眠っていた日野川は、隣室からの不気味な物音に驚いて目を覚ました。"ガタンッ!!"というその物音には覚えがある。今は亡き日野川の父が、深酒ですっ転ぶ時にたてていた物音に酷似していたのだ。しかし、父の霊現象にしてはやけに生々しい。条件反射的に日野川が光の速さで隣室に飛んでゆくと、あろうことか母がベッドサイドにうずくまって呻いているではないか。何があったのかと聞いてみると、トイレに立とうとして転倒した際に、真四角のすてきゴミ箱(頑丈な木製)で腹部を強打したらしい。長年培われた野生の勘によって『これはヤバい』と感じた日野川は、同じく駆けつけた兄との意見を一致させ、救急車を呼んだのだった。不幸中の幸いとして、搬送先の病院にはタイミングよく整形外科医が居た。そして、母の診断結果は肋骨の骨折であった。「シニアにはよくあることです。しばらくは自宅安静で、2週間ぐらいですかねえ」と、ちっとも目が笑っていない医者は言った。その夜の待合室には、転倒した母親が救急車で担ぎ込まれたという妙齢の女性がため息をついていた。きっと仲間は多かろう。諸行無常である。

自宅に帰って母を寝かしつけ、自分もようやく眠ることにした日野川だったが、大きな問題を抱えていた。丁度その前日に、母のたっての希望によってアフタヌーンティーのコースをホテルで……それも、気合の入った高級ホテルで予約してしまっていたのである。普通ならば仕方なしにキャンセルする場面であるのだが、無慈悲にもWEBサイトには"当日キャンセル:ご飲食代の100%"と書いてある。『¥7,900 (税サ込)×2……!?これ全額払わなあかんの?ホンマに?なんぼなんでもそらないんとちゃう?』頭を抱える日野川。年末で何かと出費がかさむ中で¥15,800が虚空へ消えるのはあまりにも財布に痛い。もう既に当日で、予約の13時が刻一刻と迫ってくる……。

そして、13時。日野川は奈良県某所にある高級ホテル前に辿り着いていた。睡眠不足による寝坊で、服装がひどく適当な上にメイクも失敗しており、そのホテルには全く似つかわしくない姿だ。安静中の母は兄に任せてあるのでそれなりには安心だ。母を置いて自分だけ高級な茶をしばきにゆくのは人間としてどうかとも思ったのだが、当の母が「¥15,800は勿体ないやろ。アンタだけでも行きい」と訴えるのだから、決断するしかなかった。だが、日野川は己がミスド好きの庶民であることも知っているので、心中は非常に複雑だ。

ややあって、ホテルの快適なソファにぽつんと座っていると、ラウンジの隅で何かを相談しているホテリエたち。目の前のテーブルには2人分の食器やナプキンなどが用意してあり、心許ない。どのみち¥15,800は支払わねばならないと覚悟を決めた矢先、先程の女性の上司らしき人がやって来て、こう言ったのだ。「お客様、ご事情はお聞きしました。お連れ様がお怪我をなさったとのこと、大変でしたね。料金ですが、お客様1人分のみで構いません。今すぐご用意させていただきますので、どうぞごゆっくりとアフタヌーンティーのコースをお楽しみ下さいませ」

……お分かりいただけただろうか。その時の日野川のぽかんと口を開けた顔は、真実の口に酷似していたという。神は存在していた。もう、頭頂部が床に擦れるような勢いで頭を下げるしかない。ぼっちではあるけれど
¥7,900 (税サ込)でアフタヌーンティーを楽しめる。世の中捨てたものじゃない。キャンセルしなくて本当に良かった。この時、薄情なことに日野川の脳内からは自宅に居る母や兄の存在は消えており、かろうじて愛猫の存在のみが残っていた。

そんな訳で、日野川は15時近くまでアフタヌーンティーを楽しんだのだった。事情が事情なのでホテリエの方々に大分と気を遣われる羽目になったのだが、文字数制限もあるのでそこら辺の詳細は省く。ただ、アフタヌーンティーのコース、その名も『いざいざ奈良コラボレーションスペシャルアフタヌーンティーセット』は最高だった。贅沢ここに極まれリ。アクセントに奈良漬けを使用したサンドイッチや、チーズの元祖である蘇を取り入れたケーキ、定番のスコーンにも工夫が凝らされている。以下はメニューだが、事前に伝えておけばアレルギー持ちの人向けに適応したものとして出てくるのもいい。

*クリスピーパイと奈良椎茸のデュクセル
*シュリンプのサラダ キャビア添え 
*奈良県産月ヶ瀬の梅ムース
*スモークサーモンと奈良漬けミルフィーユ
*ゴルゴンゾーラムースとサラミ ドライイチジクのスモーブロー
*大和野菜と十津川キノコのキッシュ
*クラブケーキ 九条ネギマヨネーズともろみパウダー
*ビーフパテと柿ジャムの竹炭ミニバーガー
*奈良県産 栗のモンブラン
*豆乳クリームと柿ジャム、ほうじ茶ジュレのパルフェ
*柚子のマカロン
*蘇のチーズケーキ
*ドライフルーツとナッツと榧の実のチョコレート
*スコーン(抹茶&ほうじ茶)クロテッドクリーム、大和橘ジャム
 これに各種の紅茶・日本茶・ハーブティー・珈琲などを自由に何杯でも選べる。

最後にひとつ。ロビーに飾ってあって大きなクリスマスツリーの写真を撮ってもいいですかと聞いた際に「大丈夫ですよお客様。ツリーと一緒に記念撮影はいかがですか?」と言われたので、つい「あっ、お願いします」と答えてしまったのだが、事情を知らない他のお客たちから見れば"ぼっちでアフタヌーンティーにやって来た上に記念撮影までして貰っているアレでナニな女」に見えたのではなかろうか。知らんけど。


#雑談 #アフタヌーンティー #小咄 #3000文字

@Saki_Hinokawa_m

最初冒頭を読みまして、わ、ひとりアフタヌーンティー私も大好きです、素敵~と思ってどんどん読み進めていきましたら、まさかの……!
お母様はひとまずご無事でなによりですが、きっと気が気じゃなかったはずですよね。心から容体の安定をお祈りしております😢

とはいえ楽しむことができて何より……と言ってしまってもよいのでしょうか。
奈良漬けを使ったサンドイッチ、なんてもう聞いただけで食べたくなっちゃいました。梅も栗も、奈良にはおいしいものが沢山ありますね✨

温かい励ましのお便り(?)有難うございます!母の骨折も大分回復しております。

千野さんも喫茶店めぐりとかしてらっしゃいますよね。いつもいい感じの投稿楽しみです
:nkoWhoaa:そうなんですよね、薄情なことに最終的にはかなりエンジョイしてしまいました。このコース、奈良らしい食材が沢山で他では見ないのが良い感じ。ちなみにここです🫖

https://www.tablecheck.com/ja/shops/jw-marriott-hotel-nara-flying-stag/reserve

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@Saki_Hinokawa_m

わ、マリオットだったんですね、会場まで教えてくださり誠にありがとうございます……!
いずれ奈良を訪れた際にはお茶したいスポット、自分の脳内リストに追加されました☺️✨

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