カレーやシチューに使われているにんじんが、星だとか月だとかの形に切り抜いてあることが、どれほど自分にとって素晴らしいのか。
説明するのはなんとも難しい。
絶対にそうでなければ駄目、というような気持ちも別にないので、尚更かもしれない。
どうしても星や月の形でなければ嫌だ、と主張できるほど強い思いなら、もう少し簡単。でも実際、ごはんはきちんと食べられるなら「十分」なはずだし、おいしければさらに「良い」。量が過不足なく、美味であり、盛り付けがきれいな方が「楽しい」。
なのに、にんじんが好きなものの形に切り抜かれていること、その状態に、前に挙げた価値と拮抗するほどの「何か」をときどき感じる場合がある。
ううん、野菜を任意の形に切り抜くのも盛り付けの一環ではないのか?
確かに普通に考えたら、そう。
でも、自分の中で、いつの間にか特別な意味が与えられている。
祝福されている感じがする。
丸でも四角でも三角でも構わないものを、わざわざ余計に包丁や型の金具を動かして作る。感情を込めてでも、事務的にであっても、得られる結果は同じ。
おほしさま、おつきさま、ひょっとしたら混じっていないかなーとココイチのポークカレーをスプーンで軽くかき混ぜた。
そもそも目に見える大きさの野菜が含まれていなかった。