いつものごとく中央図書館(横浜)に行ってまた10冊借りてきましたが、足を運ぶたびに「歓喜の狂い」に呑まれて奇行に走りそうになるので、相当に自我を強く保たないとあぶない。
「ひゃっ166万冊以上! 166万冊以上の本がここにおさめられていて、自分はその多くを閲覧でき、さらに多くを借りられる……無料で……無料、で……」
という感動があまりに大きすぎるため、いつも読みたい本に溺れながら泣く。嬉しくて。
一生かかっても全てには触れられないだけの量の知がそこにあること、本当に救い(何か夢中になれるものが途切れると一気に『人生の続行が面倒』になってしまう性格なので)(難儀だね)
あと海外文学、日本語版がもう絶版になってしまった小説でも図書館に行けば手に取れるのがありがたく、原著が英語であれば読めるので(今って電子版の洋書をすぐ買えてしまう……)ひとまず勝手に訳す→答え合わせのつもりで図書館にて日本語版を確認、というのをたまにやっている。
それが母語でも第二言語でも、「普通に読めはする」からといって言語自体によく通じているわけでは決してないから、自分が原著に触れた際の感じは大切にしつつプロの翻訳者がどんな風に訳しているのかは見ておきたい。
ごくまれに、その訳し方では意味が通らないのでは……とか、いやここは明らかに要素を見落としている、と感じる箇所にも出会うけれど、もちろんただの好みの問題の時もある。
そして結局、訳する(という、本質的にはできるはずのない)行為の困難さを考える。
翻訳者というのは不可能に挑み続ける宿命を背負った人たちなのだな、とも。