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創元SF文庫「何かが道をやってくる」
レイ・ブラッドベリ 中村融訳

原題にある"Something Wicked"……何か邪悪なもの、というのは沙翁の「マクベス」からの引用。では、作中で移動遊園地と共にやってきたそれらは、その邪悪さで一体何をおびやかし、害をなすのか?
善良な心、人の世の善なるもの、教会での真摯な祈り。
そういうものを冒涜し腐してしまうのが、邪悪なカーニヴァルだった。

ブラッドベリは幼少期から、遊園地や道化師がもたらすイメージを恐れつつ、心の一部を囚われてきた。怪しげな存在に翻弄される2人の少年・ジムとウィルはある意味で著者の分身ともいえる。
そして、高齢で結婚して息子をもうけたウィルの父、チャールズも……。
なんとなく「父の役割」「母の役割」が分割されているふしのある言い回しは古めかしいが、それを補って余りある魅力があった(私が遊園地モチーフを好んでいるからというのもある)

ぐっとくるのは、さりげなくだがしっかりと描かれている図書館や書物への信頼。
そして、恐ろしい〈塵の魔女〉を前にしながら「きさまは滑稽だ!」と笑い飛ばす強さ。

「人生とはつまるところ途方もない大きさの悪戯」だと彼は思う。それは決して投げやりな諦念ではなく、窮地から彼を救う。

河出書房新社「塵よりよみがえり」
レイ・ブラッドベリ 中村融訳

先日手に取った、同著者「何かが道をやってくる」でも描かれていた〈秋の民〉。邪悪な存在と推測され、魔力を持ち、死なず永遠に存在し続ける闇の住民たち。
ジムとウィルにとっては、彼ら家族と町をおびやかした、恐ろしいものだった。

どうやら「塵よりよみがえり」の方では、この秋の民の一族から見た情景や、さらにその屋敷に置き去りにされた『普通の人間』……魔族に育てられたティモシーの物語が描かれていると分かる。
不思議な能力を持った彼らと同じようになりたい、と無邪気に願い、けれどその本質を深く知っていくことによって、やはり人間として生き、死にたいと願うティモシー。

でも一族の滅びを前にして、彼の心には皆に愛された事実が残っていた。

〈秋の民〉一族は通俗的な善と対照的なようだけれど、不思議なことに、一部の幽霊のような存在は『不信心者の数が増えるほど存在を保てなくなる』みたいだ。反対だと思っていた。
光を信じる者がいなければ影も存在できず、光など虚無だと打ち捨ててしまう世界にはもはや闇の入り込む余地もない。そういう点で、虚無主義に抗おうとする作者の意思も伺える。

その鍵となるのはやはり『記憶』や『記録』なのだった。

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