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川北稔「砂糖の世界史」(岩波ジュニア文庫)を読んでいて。

世界市場で売れるもの、たったひとつの作物のみを生産するモノカルチャーの在り方が、大規模プランテーションを生み出した17世紀。
そこではあらゆる労働、土地、民族構成が従来の文化から引き離され、それだけのために回転するようになった……

特にカリブ海の島々(サトウキビ)が例として挙げられ、本来は「自分たちが食べるもの」を生産するはずであるところ、時には北米から食糧を輸入してまで「売り物」を作り続けなければならなかった。
しかも労働者の大半は、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷たち。

これは所謂「三角貿易」によって支えられたものだったけれど、品物と品物、貨幣と品物を交換する行為が『生活』のためなのか、『利益そのもの』のために行われるかで、随分と様子が違う。

今春、墨田区「たばこと塩の博物館」で《レンバタ島のイカット(絣織り)》に関する展示を見たので尚更そう思った。

レンバタ島では『海の民』と『山の民』が採ったものを交換して、必需品を作り、さらにそれを交換する。
貨幣を得るのが主目的ではない、生活のための交易というのはこういう形態をとるのかと感じて展示を見ていた。
交易で生まれた布と、衣服。
近世における三角貿易とは対照的。

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