だいぶ精度もよくなってきてるので、少し前から思い出したように音声認識でメモ書いては、習慣づかずにいる。
ふと、一時的に Obsidian のスマホ用 Value の Thino に音声認識でよく試し書きしてた頃の記録が目に入った。多分去年ゲスハでくすぶってた頃に、屋上で記録したもの。
タイピングで書くよりも、その思った瞬間の心の自由度がそのまま残されてるような文章に見えて、あ、これはもうちょっと活用したほうがいいな、って改めて思った。
大昔に でも書いたけど、モタモタとタイプしてる間に思考がどんどん先に進んで、瞬間瞬間に閃いてた大事なエッセンスがこぼれ落ちてしまう感覚には陥りがちで、文章としてまとまった頃にはなんとなく気の抜けたコーラみたいに思えてしまう。
思考の移ろいも残るからRAWのままSNSとかには出せないながらに、ああ、青臭いくらい若かりし頃は、更にスローな手法、なんなら手書きの日記でも、こういう感じで書いてたのにどうなっちゃったんだろう、大人になるって、色々つまらん無意識が邪魔して、自分の感覚すら鈍らせてしまってるのかなあ、みたいな。
ちょっと古いけどクーパー捜査官のダイアン宛てのテープ(起こし)ぶってもっと習慣的に使ってきたいな。