日本人が書く語学テキストの多くがどの言語であってもなんでつまらない、身にならない時間がかかるかように感じるかというと、それはその多くがオーディオリンガルと文型シラバス(簡単なものから順に文法中心に学習をしていく教授法)に沿って書かれているからだと思う。それに比べて最近流行りのアプリ(Duolingoとか)はタスクシラバスで行動中心アプローチ(○○したいからそれをするための言い方を勉強するという方法。Duolingoとかは確かユニット名がcan doになってたような?)というのが主なので、その状況になればすぐに使えるし達成感も見えやすい。もちろんアプリだから音や演出があってそれも効果的っていうのも多いにあると思うけど、そもそもシラバスが違うってことが多い。
欧州とかではタスクシラバス、行動中心アプローチが主流になってる(CEFRとかもcan do基準にしてるし)けど、学校教育とかがそうだからか日本はまだまだ文型シラバス信仰?が多いよね。
10分有酸素運動 #運動ドン
10分有酸素運動 #運動ドン
善き人見ました。ふせった〜のやつ
3人だけで演じることで現れる効果と演出のおもしろさがあった。このまえロロ見たときとか、さっきまでおじいちゃん役だったひとが歩きながら役を切り替えて「ウィっす」て挨拶する、みたいな場面があったのを思い出した。そのときのトークで、演じているときに切り替えるのは外部からのきっかけがいるという話をしていた。他の役者がした動作をきっかけに、自分のなかの意識を次の役に切り替える。内部から変わっていくのではなく、外部から背中を押される必要があるという話。
それを思い出しつつ、たとえばエリオット・レヴィがモーリスから安楽死をさせる医者になるときの、意識の切り替えって、本当にすごいんだろうなって。
あのジョンの周りの人間を2人だけにしてるのって、ジョンの主観的な世界で起きていることでもあるし、そのひとがジョンにとって恋人や妻や少佐になる可能性のバリエーションのような印象もあった。匿名性、交換可能性、みたいなことを思う。
なかおかです。成人済み/mcabender/ハッピーコヴェナント