善き人見ました。ふせった〜のやつ 

「普通の人の加担」の理屈、そうだよな〜と思った。水晶の夜の炎を前にして、ユダヤ人の親友に「ユダヤ人にも責任はある」みたいなめちゃくちゃな話をしてるところ、行き着く先という感じだった
ナチの理論を下支えすることになり、虐殺の実行に加わったことに、きっかけとか、「あのとき踏み外さなければ」とかがあんまり明確にないし、性格が悪いとか頭が悪いとかではない。経済と文化の両方から「安楽死」への、ユダヤ人差別への肯定がなされ、「豪華な屋敷」やパーティでエリートの仲間入りという優越感を得てコミットしていくという施策。
でも、ジョンのさまざまな局面での"かすかな"葛藤に、「状況が悪かった」だけではない、倫理的な責任がそこにあるんじゃないか?と思わされる。
モーリスに対して「そこまで親身になれない」とあたまのなかで本音を言うあの場面!

善き人見ました。ふせった〜のやつ 

3人だけで演じることで現れる効果と演出のおもしろさがあった。このまえロロ見たときとか、さっきまでおじいちゃん役だったひとが歩きながら役を切り替えて「ウィっす」て挨拶する、みたいな場面があったのを思い出した。そのときのトークで、演じているときに切り替えるのは外部からのきっかけがいるという話をしていた。他の役者がした動作をきっかけに、自分のなかの意識を次の役に切り替える。内部から変わっていくのではなく、外部から背中を押される必要があるという話。

それを思い出しつつ、たとえばエリオット・レヴィがモーリスから安楽死をさせる医者になるときの、意識の切り替えって、本当にすごいんだろうなって。
あのジョンの周りの人間を2人だけにしてるのって、ジョンの主観的な世界で起きていることでもあるし、そのひとがジョンにとって恋人や妻や少佐になる可能性のバリエーションのような印象もあった。匿名性、交換可能性、みたいなことを思う。

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善き人見ました。ふせった〜のやつ3 

そしてアウシュヴィッツに行き着いた彼の前には、感情が読めない兵士と「現実の」バンドが現れる。現実のバンドは、囚人で構成されている。他者がようやく現れる。

親衛隊の制服が似合っていなくてよかった、という感想も見たけど、似合うかどうかはあんまり思わなかった。グロテスクだとは思った。
あの「私たちはいい人だよね」の場面で、これからユダヤ人を殺しに行く場面で、制服は彼を覆い隠す記号として働くが、彼個人は善き人のつもりでいる…。

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