最近かわいいなーと思った仕草の話だけど、飴を最後まで舐めずに途中で噛むのかわいいなーと思った。私は固定観念が強い?というか頭が固い方らしく、飴は最後まで舐めるものだしありとあらゆる決め事やルールだとか、社会通念のようなものに準ずることに対しておそらく比較的違和感を覚えない方の人間で、例えばカットサラダの袋に直接ドレッシングを入れて混ぜて食べるだとか、生活の裏技のようなことを教えてもらうと感動に近いような気持ちになるのと同時に、そこに自由さ?のような奔放?のようなイメージが感じられてかわいらしく見えたりする。

また好意?の話 

私はそう振る舞うに適切でないと思われる関係の相手に対しても過剰に親愛を感じてしまうので、それが伝わらないように嫌な思いをさせないように意識できる範囲でブレーキを心がけているのだけど、心象風景というか、自分の中での感覚でいえば、水をたっぷり吸ったスポンジを手の上に乗せて歩いているようなイメージがある。何かの弾みにそれを握ると水がぼたぼたこぼれてしまうし、なんなら歩いてる途中もぽとぽと垂れていて、その跡に気付いたとき惨めな気分になる。スポンジがもっと乾いていればいいだけの話なのに、私のスポンジはだいたいいつも不必要な水気がある。

職場の人との話 

私の現職場で唯一よく話をする人がいて、その人は同じ部署だけど係違い?というか、私が変な業務分担で働いてるから半分上司みたいな関係性で年齢もかなり上なんだけど、基本的に敬語で話してくれる。その人の受け持ち業務が最近立て込んでるから自然と一緒にいる時間が増えてて、いつも仕事終わって解散する時には「お疲れさま」「気をつけて」って言ってくれるんだけど、この間「じゃーね」って言われてちょっと面食らった。家帰ってから何回か思い出して、しみじみうれしい気持ちになった。

また愛情の話 

私の愛情の所在の証明は何よりも優先することだと最近確信したんだけど、それとセットになってるのが『ブレーキをかけること』で、それっていうのは、私が持ちうる愛情を注ぐ先の対象はおそらくその状態を受け入れ難いだろうなという想定からくる保険のようなもので、かなり肯定的かつ端的に言えば理性なんだけど、『私は大好きだけどきっと相手はそうじゃないな』という確信と保身からきてるんだよな。
一例を挙げるなら、SNSでフォローしてるだけの他人でも生活の一端を見続けていれば好意の対象になることがあるんだけど、私に限って言えばその好意の対象はかなり広く、好意という言葉以外に表現のしようがないのだけど、人が変われば好意という言葉の持つ意味の質量がかなり変わるから、好意があるということを口にすることもはばかられる。
Twitterで言うならリプライを全然しないのもこういうところで(相手に返信を強いる?ような気になるのが…(されるのは全く気にならない))、でも話はしてみたいからもくりはしたりしてたんだけど、サービスが終わるらしく…ブレーキを踏み続ける人生…

今の職場で一番よく話す人は自分の家族の話を全くしない人で、それについて私は特に思うところもなく、にこにこ話してくれる話題が家族以外にたくさんあるからそういう話を聞けてただうれしいだけなのだけど、他の人を介して当人の家族の話が耳に入ってきてしまってなんだか後ろめたい。
何も聞いてない体は崩さないけど、家族のことに限らず、本人がにこにこ話せることだけ話せたらうれしいのに、なんなんだろうな。

私の置かれてる職場環境の影響で、同年代よりも50〜60代男性と関わることの方が多いのだけど、身体的特徴に言及されている場面に出くわす機会もそれをされた側が多分嫌がってるんだろうなと思う機会も、同年代と過ごす時と同じくらいあって、やっぱり世代を問わずみんな嫌なことは嫌なんだなって思う。当たり前と言えば当たり前ですが…

愛情の所在の証明の話 

最近Xでよく見かけた健全な愛情は冷たく見える話に関連して思ったこと。
私の愛情の証明は『何よりも優先すること』なので世間一般で言われる健全から程遠いのだと実感したのと、たしかに私が今まで冷めていると感じた距離感は健全だったんだと実感して、恨むでも悔やむでもなくなるほどなーと思った。
私に限って言えば、愛情を注ぐ先の事柄は他の何よりも優先してしまう。何よりも一番に据えることこそが私の愛情の所在を証明することだと思ってたのだけど、平均的にはそうじゃないらしい。こういうギャップは創作に活かせるだろうな。そう思うのが一番私のためになる。

チャーミングな身体的特徴の話2 

八重歯ってとってもかわいいし八重歯に限らず特徴的な歯並びって、私はとてもチャーミングな特徴だと思うのだけど、私に触れられたくない身体的特徴があるのと同じように、私がチャーミングだと思う身体的特徴も触れられたくない人がいるのだと思うと、どんなにかわいいことでも口に出すのははばかられる。
でも本当に本心からかわいいんだよ。でもそもそも視線が注がられているということが耐え難いこともあると思うと口に出すのはやっぱりはばかられる。だからいつもかわいいなあと思うだけに留めてる。こんな風に閲覧者を絞れるのは本当に便利だな。

最近、誰に宛てたものでもない「どこにも行かないでくれ」という気持ちがとめどなく湧いてくるけど、その源がわからない 寒さのせいか? そろそろ暖房つけるか

昔はこういうああしたいこうしたいという気持ちを一次創作にぶつけてたんだけど、最近はとんと書いてないな

明るい気持ちも暗い気持ちも、観測できる状況に置きさえしなきゃ存在しないのと一緒だと思って生きてるけど、それぞれ分解してみるのも結構大事かもって最近は思う それもこれもフォロイーのおかげ

Xでは言わないような後ろ向きな話がこのアカウントの下書きに溜まってて、波が過ぎ去ってから読み返すとそんなこと言うな!って感じなんだけどその時の自分にとってはただ本心なのよな こんなことを本心にさせないでくれよ

私に起きる『任意の意外な一面に触れることによる好感度の爆上がり』の理由を自分なりに考えてみた結果、たぶん相手の秘密を打ち明けてもらったような気になるからなんだろうな。偶発的であれ意図的であれ。

私が二次創作アカウントを何個も分けてるのって、最初に満足したら消すつもりでとあるCP専用アカウントを作った時、たまたまそのCPに私が見出したのがモラルあるやりとりの素晴らしさや互いを支え合う・尊重し合うことの尊さだったからそういう話を書いていたところに、「こんなお話を書けるあなたはとても素晴らしい人なんでしょうね!(意訳)」といった感想が届いて衝撃を受けたからなんですね。
私自身はいろんなテイストのフィクション(暴力・暴言・人の意思を踏み躙るなど)を楽しむ人間だし書きもするけど、そんなふうに見てる・楽しんでる人に忍びない気持ちがその時は勝った。それからずっといろんなアカウントを運用して楽しんでるけど、最近は別にいちいち分けなくてよかったかもなーとも思う。

大事に丁寧に積み上げてきたものを、大事に思うがゆえに自分の手でめちゃくちゃにするようなことをしてしまう人、いじらしい以外に言えることないよ

この間色々あって動悸がかなりすごいことになって拳をつくるだけで鼓動がわかるぐらいだったんだけど、私こういう、日常のなかの特別が書かれた話が好きだからまた頭の中にストックしておく

冗談としてでも嫌なことを嫌だと言えるの結構すっとする

というのも、全然好きじゃない現環境においてほぼ唯一楽しい雑談のできる人がいて、頼むずっとここにいてくれと願ってたけど異動の気配がにじんでいて…

よくないことが起きそうな・起きるかもしれないかつそれを受け入れるしかない時間というものが私はとにかく苦手で、ホラー映画のびっくりポイントがありそうな廊下を進む時間とか、注射針が肌を刺すまでの時間とか、そういうものが本当に苦手で耐えられない
前の前の職場で環境(特に人)ががらっと変わることになった時、まだ変化が起きる前なのにストレスで味覚障害出たことある

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