そこで、すごく気になったのは、パウル・クレーの生い立ちや、この言葉の背景でした。
彼は音楽一家の子としてスイス・ベルン近郊の町に生まれましたが、画家になりたいとミュンヘンに移り住みます。
そして、1914年にチュニジアを旅行した時のことを、「色彩が私を捉えたのだ」と日記に書き残しています。
その後、第一次世界大戦で自らも戦場に赴き、また、大切な友人を喪いました…。
1921年からはバウハウスで授業を行う講師となり、1933年末には、ナチ政権の迫害を受けベルンへと戻っています。
#パウル・クレー展