不可知領域と
の向き合い方の話(時 について)
マルコ 1:15「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
↑これはカイロスのほう。
ギリシャ語では時を表す言葉がクロノスとカイロスの2種類ある。
クロノスは人間が認識している時間。数値に落とし込んでいるやつ。自分がいつどこで何をしているか記録したり計画を練ったりできる人間が把握できる範囲の時間。
カイロスは人間には把握できない理解できない範囲なので人間自身が意味を持たしたり理解できる事は無い。
牧師はこれをサーフィンに例えていた。自分で計画していない想定外の出来事が来た時に自分はどう答えるかと。この話はおそらくどの宗派でも出てくる話だが、この宗派、もしくは牧師先生の特徴は、自分に認識できない物が来た時に自分はどう答えますか?と自分の答え方を問われる点だと思う。波が来たので波の流れに従いましょう(雑に言うと単に流されましょう)というのは明らかに違う。前の宗派に居た時は、期待されている応答の方法は予め一種類である気分になったけれど(その一種類に答えるか否かが何かの分岐だったような気がする)こちらの宗派だと応答の仕方が複数ある事が前提のような気がする。(気がするだけで根拠は無いけれど)あと、説教の中に自由という言葉が出てくる事も

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 特徴の一つだと思う。自分に認識できない範囲からの呼びかけに答える事によって(自分の計画が自分の予定外の方向に向かっている状況で)かえって自由になるらしい。話としては解らないこともないけれどやりたくない話だと思った。訳分からん状況に答えるなんて普通に恐いよね

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