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『レッドブルー』は初期の範馬勇次郎が言うてた「戦いはセックス以上のコミュニケーションだ」を実践している漫画で本当に面白い。だからこそ拳心は正真正銘のラスボスなんだな。言語のコミュニケーションが真に通じないから。岩瀬をはじめその行動原理を理解できる対戦相手たちとはシンパシーを持ったり持たれたり、コミュニケーションが成立している。つまり青葉は戦いを通じてその強さを理解してもらえて、それが幸せ。戦いは言語。拳心に対して「僕と羽鶴さんの間に余計な口出しすんなよ」っていう不快感を示す気持ちすごくわかる。そして第一話で既に言葉でのコミュニケーションが通じないってわかってるから「いつか締め落としてやるから黙って待ってろ」って言っちゃう。肉体言語で教えてやるから。僕のことを。マジで本当に面白いから読んで。

ププププリリッて筋繊維が弾ける様に切れてく瞬間の「あ、やったな〜」という自覚とほぼ同時にくるビリッて痛みと、鐘の響きみたいなジワ感に「ああ筋肉ってみずみずしい撚り糸の集合体なんだな〜」って実感が得られて、それ自体はなんというか科学的な体験であって、好奇心の満たされる感じが興味深くはあるんだけど。

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ギックリとか肉離れとかって、治ってしばらくは再生した所が固くなって、柔い所との継ぎ目、ギャップ部分に負荷がかかりやすくなってしばらくは再発しやすく、そのギャップが小さくなるまで、完治まで用心深くするのが本当に大事で、そこで油断して再発とかしてクセになると、しょっちゅうビリっとかブチっとかの電撃が走る感覚からの、ジワ〜って患部からなんか漏れるような感じがマジでツラい。

色々はしょるんだけど「オタクに優しいギャル」というのは主語が小さくて、「友人未満の隣人知人にコミュニケーションハードルの低い人がいると、人と関わる楽しさをノーリスクノーコストで味わえるんだけどな」という怠惰だと思うんすわ。
性欲の発散とケア労働の要求とを区別できなくなっている男性については以前もツイッターで言ってたんだけど、いわゆる「授乳手コキ」とかのシチュエーションがそうで。あと「オタクに優しいギャル」については一方的なアウトサイダー同族意識とカースト逆転トロフィーとしてのゲスい視座があると思うんだよ。

『レッドブルー』凄い面白い。作中に陰キャ陽キャって言葉を出していないのに、サンデーうぇぶりのアプリ版だと柱に「陰の者」って単語でアオリがある。これはさすがに編集が勝手につけたと思うんだけど、って言いたくなるほど、そうしたカテゴライズ自体にも批評性があってとてもよい。ネームが面白いしMMAも面白いし、作者の既存の価値規範に対する批評性が通底している感じも本当に面白い。面白い。ひとまず読める分を一気に読んでしまった。単行本買おう。アプリだと無料で40話くらい読めるので読んでみて。キャラクター同士のコミュニケーション、衝突。が、人格とファイトスタイルと混ざり合って本当に面白い。
sunday-webry.com/episode/32697

あ、でもそれ込みの消費なのか、自他境界が曖昧なのかはわかんねえな。まぁ人によるか。

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娯楽としてではなく何かを賭けてみたいんだけど、それができなくて選手に託しているんだけど、その託すという行為にそのものに何かしら見返りを求めると応援団的になって、こっから先は炭酸が言うてたんだけど、「たぶん多いのは応援してやってるという態度の人の方で、それで応援している選手に対して攻撃的になって、誹謗中傷が起きたりする」

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これじゃねえかな。ノーリスクな応援という行為に後ろめたさがあるから、無意味な厳しさや対戦相手への攻撃性につながる。
だから、男塾の応援なんかは応援に実際のリスクを持たせる。松尾は喉が切れるし、秀麻呂が揚げた塾旗に田沢は命をかけるし、橋を架けて死んだりする(もちろん生きてる)。

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きっとそうした対立構造そのものが楽しいんだけど、でも攻撃的になるんだよな。
俺自身は応援することについて以前に何度か話したんだけど、応援てノーリスクだから、例えばどっちも頑張れなんて言っちゃいけなくて、必ず誰かを決めて応援して、ひいきが敗退したら、後は残った誰彼を応援とか、残った日本勢を応援とか、そういうのは浅ましいと思うんですよ。ノーリスクなんだから、選手と共に大会を終わらせるくらいで臨みたいなっていう態度の話なんだけど、でもこういう態度って全然過激によりやすいんだよな。
スポーツや選手というより、ファンのそういう態度って、学生応援団とか最たるもんなんだけど、応援自体はノーリスクだから、なんかリスキーに見える様に振る舞うんだよな。だから応援団生活そのものが厳しかったりする。そういった心理的な後ろめたさの発露として、攻撃性の増幅、発揮があるんじゃねえかなって思うんだよ。

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ガキの頃から幾度となく「スポーツは元は代理戦争だから」という言葉で納得させられてきたけど、特に対戦型のスポーツ(とその応援)はチームや地域、最大で国規模での対立を煽るんだけど、戦争なんて起きてなかった所にも対立を生むよなって。例えば格ゲーはゲーセン単位でのナワバリ意識があったわけだし、デカい駅だと西口東口でも対立してたっていうし。対戦するスポーツ・遊戯全般が、そもそも対立を煽るんでは? と今更ながらに思ってる。身内と外野という二分法に親和性が強くて、つまり結局は右翼的になっちまうんだよな〜
んでそれに染まらずに居ますよ私は冷静ですよって態度を取ろうとすると、そういう対立に直面した時に「エンタメ」とか「プロレス」って言葉を使う人が出てくる。

電池が切れてた。0000までにペックスランクマできたら

エイムアシの弱体化をハッキリ感じてしまっているのがツラいな。

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ブロツキー さんがブースト

そして何より、政府による歴史言説への実質的な介入は、「歴史戦」なる名目ですでに行われており、それは歴史修正主義を権力が振り回している、きわめて危険なものです。近現代日本史では、通説を普通に発表するだけで、国家に攻撃され、それに便乗したネトウヨに叩かれるのが現状です。

ブロツキー さんがブースト

もちろん、コンテンツに歴史修正主義的な内容が入ってきたら、それは厳しく批判され撤回されねばなりません。場合によっては(欧州とかでは)権力の介入もありうるかもしれません。でもそれは「学問的に間違いだから」ではなく、「人権問題だから」です。そこははき違えてはなりません。

ブロツキー さんがブースト

ぶっちゃけていえば、日本では艦これはじめ歴史上の人物や事象を何でもかんでも美少女化している――弥助もすでに褐色美少女化の厄に遭っているようです――状況で、他国のコンテンツに四の五の言える資格がこの国にあるんかいな、と思います。みんな勝手にやれば宜しい。それが人種差別でない限り。

ブロツキー さんがブースト

私が考えるに、コンテンツで歴史を扱うのは、その制作者が自己の責任と認識で行えばよく、それに対して歴史学者も自由な立場で批判なり評価なりをする、まさしく言論の自由を行使することが大前提だと思います。だから私も自己の責任で #ところで艦これ厨は滅ぼされねばならない と発信しました。

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