きっとそうした対立構造そのものが楽しいんだけど、でも攻撃的になるんだよな。
俺自身は応援することについて以前に何度か話したんだけど、応援てノーリスクだから、例えばどっちも頑張れなんて言っちゃいけなくて、必ず誰かを決めて応援して、ひいきが敗退したら、後は残った誰彼を応援とか、残った日本勢を応援とか、そういうのは浅ましいと思うんですよ。ノーリスクなんだから、選手と共に大会を終わらせるくらいで臨みたいなっていう態度の話なんだけど、でもこういう態度って全然過激によりやすいんだよな。
スポーツや選手というより、ファンのそういう態度って、学生応援団とか最たるもんなんだけど、応援自体はノーリスクだから、なんかリスキーに見える様に振る舞うんだよな。だから応援団生活そのものが厳しかったりする。そういった心理的な後ろめたさの発露として、攻撃性の増幅、発揮があるんじゃねえかなって思うんだよ。
これじゃねえかな。ノーリスクな応援という行為に後ろめたさがあるから、無意味な厳しさや対戦相手への攻撃性につながる。
だから、男塾の応援なんかは応援に実際のリスクを持たせる。松尾は喉が切れるし、秀麻呂が揚げた塾旗に田沢は命をかけるし、橋を架けて死んだりする(もちろん生きてる)。