ガキの頃から幾度となく「スポーツは元は代理戦争だから」という言葉で納得させられてきたけど、特に対戦型のスポーツ(とその応援)はチームや地域、最大で国規模での対立を煽るんだけど、戦争なんて起きてなかった所にも対立を生むよなって。例えば格ゲーはゲーセン単位でのナワバリ意識があったわけだし、デカい駅だと西口東口でも対立してたっていうし。対戦するスポーツ・遊戯全般が、そもそも対立を煽るんでは? と今更ながらに思ってる。身内と外野という二分法に親和性が強くて、つまり結局は右翼的になっちまうんだよな〜
んでそれに染まらずに居ますよ私は冷静ですよって態度を取ろうとすると、そういう対立に直面した時に「エンタメ」とか「プロレス」って言葉を使う人が出てくる。

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きっとそうした対立構造そのものが楽しいんだけど、でも攻撃的になるんだよな。
俺自身は応援することについて以前に何度か話したんだけど、応援てノーリスクだから、例えばどっちも頑張れなんて言っちゃいけなくて、必ず誰かを決めて応援して、ひいきが敗退したら、後は残った誰彼を応援とか、残った日本勢を応援とか、そういうのは浅ましいと思うんですよ。ノーリスクなんだから、選手と共に大会を終わらせるくらいで臨みたいなっていう態度の話なんだけど、でもこういう態度って全然過激によりやすいんだよな。
スポーツや選手というより、ファンのそういう態度って、学生応援団とか最たるもんなんだけど、応援自体はノーリスクだから、なんかリスキーに見える様に振る舞うんだよな。だから応援団生活そのものが厳しかったりする。そういった心理的な後ろめたさの発露として、攻撃性の増幅、発揮があるんじゃねえかなって思うんだよ。

これじゃねえかな。ノーリスクな応援という行為に後ろめたさがあるから、無意味な厳しさや対戦相手への攻撃性につながる。
だから、男塾の応援なんかは応援に実際のリスクを持たせる。松尾は喉が切れるし、秀麻呂が揚げた塾旗に田沢は命をかけるし、橋を架けて死んだりする(もちろん生きてる)。

娯楽としてではなく何かを賭けてみたいんだけど、それができなくて選手に託しているんだけど、その託すという行為にそのものに何かしら見返りを求めると応援団的になって、こっから先は炭酸が言うてたんだけど、「たぶん多いのは応援してやってるという態度の人の方で、それで応援している選手に対して攻撃的になって、誹謗中傷が起きたりする」

あ、でもそれ込みの消費なのか、自他境界が曖昧なのかはわかんねえな。まぁ人によるか。

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