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人には言えない炭酸と2人だけのくだらなくて面白い会話が沢山あって本当に困る。

今ふと思い返して、こないだのロムルスの感想に「スコラ学的」って言い方をしたと思うけど、聖書と現実の乖離(矛盾)について、聖書が無謬であることを結局は動かせない信仰心の人が、科学の文法に則ったていで結局は聖書(信仰)を補強する理屈をつけることが目的って認識なので、ロムルスは神(既存の作品)を否定、批判できなかったなって意味でスコラ学的って言い方したつもりなんだけど、しかしそもそもスコラ学に対する俺の認識が正しいかわからんかったわ。

ブロツキー さんがブースト

Riot Games、『League of Legends』開発チームに“将来もっとスタッフを増やす”としつつレイオフ実施。今は減らす automaton-media.com/articles/n

>BT 参政党のこれ、非難する上で適切な言葉が見つからないくらいだわ。気持ち悪い。

ブロツキー さんがブースト

参政党のこれ、通じる人には通じる排外主義的なメッセージで犬笛感がすごい。
日本人の払った税金が外国人に使われている!日本が外国に乗っ取られようとしている!しかし、我々は困難に負けないぞ!日本をなめるなよ!という世界観を共有する人にのみピンとくる作り。
傷だらけの顔に勇敢な表情をたたえ、日の丸を掲げる青年(イケメン)。これぞ日本の排外主義者おじさんがもつ自己イメージなんだよな。ありもしない被害と戦う勇敢な自分というイメージ。よくできてる。めちゃくちゃキモい。

街宣、支持如何に関わらず、ただただ悪しき文明として滅びてほしい。

炭酸がビール3本買うはずが7本買ったとか言ってて笑う。カイジの班長でも隣にいたんか?

ドラえもんのどこか突き放したような、達観したような、大人びた表情やセリフに大山のぶ代の声はふさわしかった。「それをいっちゃあおしまいだよ」というセリフが本当に好きだった。藤子・F・不二雄の描いたドラえもんの声だったと思う。

水田わさびは交代当時は電車にも乗れなかったと言っていたのを以前何かで読んだ。現在の児童、あるいは20歳前後であっても水田わさびこそ慣れ親しんだドラえもんだろうから、とっくに水田わさびのドラえもんになっているとはわかっていても、今でもやっぱり批判的に見てしまう。
新劇を何本か観たけど、水田わさびに合わせているのかなって思った。ドラえもんの保護者としての面が薄れ、友人としての面が強調されてる感じがして。違ったらすまん。

ソフィアのビューティフルも、別にロックに詳しくねえんだよなってって思いながら歌ってた。好きだけど、詳しくない。

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いやちょっとまって、そもそもいわゆるオタク文化=サブカルチャーっていうのが多分違う。内包されるかどうかも含めて。親和性の高さやシンパシーなんかとは別に。

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でも自分なんてたいしてオタクじゃないよって態度、あんまよくねーんだよな。多分十分オタクなんだよな。あ~俺は何も知らね~教養がね~って思うこと多々あるんだけど、上を観ればきりが無いってだけで。
例えばだけど、タルコフプレイヤーであるだけで、ゲームオタクとして上澄みにいるんだよな俺は。デモンズダクソブラボー隻狼してフロム脳垂れ流したり、日本未発売のデッドスペースを輸入ショップで入手してプレイしたり、アイソレーションをヨダレたらしながらうっきうきでプレイしたり、そんでそれに対して他の作品の映画やゲームを交えて批評してんだから、そんな奴が自分はオタクと言えるほどの教養はございませんとか言ったら謙遜を通り越してクソ嫌味だよ。

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俺、サブカルについて意識したことないな多分。趣味をバカにされる経験、レッテル貼りならまああるけど。そういう他人の観測によるオタクやサブカルな属性はあったかもしれないけど。オタクという自認も、今では造詣の深さを鑑みれば、ふさわしくないんじゃないかな。俺をそうした意味合いで適切に表現できるプロナウンてなんだろ? 趣味人?

ブロツキー さんがブースト

ドラマ『チャッキー』感想

クィア・クリエイターである原案者ドン・マンシーニの渾身のドラマ化によってLGBTQ表象たっぷりのクィア・ホラーとして蘇りました。屈辱的な社会の中で憎しみに囚われず仲間を見つけて立ち向かえるか。10代の心境が投影されてます。チャッキーが「俺にもクィアな子どもがいる、ジェンダーフルイドのな」と発言する時代になるとは…

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/chucky-drama

ロムルスネタバレあります 

友達の友達くらい遠いんだけどツイッターで相互だった人が俺とロムルスの感想戦をしたいなって話してたらしくて、それで改めて思い返していたんだけど、監督がドントブリーズの監督であるという目線から考えると、結構ミソジニーかもしれなくて気をつけなくてはならないのではないか? という気がしてきた。つまり、今回チェストバスターもオフスプリングも、女性から誕生していて、女性の妊娠と出産を懲罰的にとらえていないかっていう。だってドントブリーズがそうだったから。ケイの妊娠についてのやりとりや、ナヴァロが襲われる直前のセリフとかを考えると、勇敢であるべきという価値観を内面化した保守男性目線からの懲罰的な視座を感じてしまうんだけど、これどうでしょうか。

誕生日で40歳になったのでケーキ6つ買った。いま2つ食べてる。残りは炭酸と夜に一緒に夜に食べる。

炭酸「○民は嫌だ○民は嫌だ○民は嫌だ」
ワイ組分け帽子「○新」
炭酸「残り2つは?」
ワイ「参○とN」
炭酸「廃校」

ってツイートを昔したんだけど、この度わたくしの選挙区にはその3/4、自民と維新と参政がおります。京都二区には圧倒的得票率を誇る前原誠司がおるんやけど、前回国民、今回維新からの出馬だから。

あと選挙が憂鬱なのは候補者もそうだけど、街宣が配信のマイクに入るのが嫌なんですよ。

ここ数日コーヒー豆挽きを再開した。コーヒーは豆を挽いている最中が1番香りがよい。コーヒーをドリップすると、あの香りは失われている気がする。まぁそれでも美味いんだけど。でも1番は挽いてる時だな。

特攻を志願させたとかの反省が感じられないなって思うの、娯楽にそうした歴史が感じられなくなったからなんだよな。スポ根とか。『巨人の星』(66〜71)のせいなんかなやっぱ。特撮で言えば『ウルトラセブン』(67)まではそういう空気が無かったのに、『帰ってきたウルトラマン』(71)とかはもうスポ根染まり切ってて観るに耐えなかった。あと最近はなろう系あたりの奴隷制度や貴族制度の扱い。奴隷に好かれたりすんのがキモすぎるし人権感覚の無さとか散々言われているはずなのではしょるけど、そもそも貴族制度に対する批評性を持たないシンデレラ(高貴な人物にみそめられることで起きる逆転)とかやべーよなって思う。上級国民とかの言葉もマジでよくねーよな。選民思想というか、もう現代社会にそういう強い格差があるのを肌で感じていて、しかもそれを批判するでもなく受け入れてしまっている感じがする。フィクションの貴族社会を空気として扱う感じ。
知らんけど(スゲー雑な話をしていますという逃げ口上)

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日本には特攻を志願"させた"歴史があるので、安楽死も決意させるに違いない。やまゆり園の事件以降の反応を見ても、尊厳死を扱えるほど成熟した国ではない。
てか日本に限らず死刑がある国が尊厳死を扱ってはいけない。
『ソイレントグリーン』とか『定年退食』みたいな未来になるよ。
シルバー民主主義とか言い出したの完全に伏線だよ。尊厳死を騙る死刑の。

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