手前味噌ながら、国際政治学界隈の沈黙に比すれば、呉座さんの一件に日歴協が声明を出した歴史学界は、まだマシだったのではないか……という気もします。それだけネットに呑まれた人が少なかった、ということかもしれませんが。問題を反省しようとする人が一定数おり、目に見える行動をしたのです。
問題は、ちゃんとした対応をした歴史学界の方がSNS上では叩かれ、沈黙してやり過ごしている国際政治学界隈の方がネット上では「うまくやった」ように見えることです。これほど顛倒したことはありません。しかしそれは、ネット空間そのものが論理の顛倒した世界であることを示していると言えます。
そんな論理の顛倒した空間での評判など、学問するのに何ら気に掛ける必要はありません。本や論文を読んでくれる人の評判を大事にすべきなのです。SNSにかまけた人は、140字の文章すらまともに読めなくなります。そんな連中に何を言われようと構わない、そういう割り切りが必要なのだと思います。
さて、このような研究者がネット上で他人を誹謗中傷して問題になった事件、というと、国際政治学者としてウクライナ戦争で一躍知名度を上げた東野篤子氏が、英語学者の羽藤由美氏を誹謗中傷した件がしばらく前に公となりました。同じようなことが他でも起こっているのです。
詳細は羽藤先生の声涙共に下るブログの記事をお読みいただきたいのですが、東野氏による羽藤氏への誹謗中傷には、国際政治の専門家を含むネットの数多の徒輩が便乗しています。羽藤氏はこれを筑波大学のコンプライアンス窓口に通報し、ことは大きくなりますが、筑波大の対応はおざなりでした。
この間、東野氏とツイッター上で親しかった国際政治学を中心とした研究者は、すべてが羽藤氏叩きに加わったわけではないにしても、東野氏を諫めたり、この件を反省するという動きはなかったようです。反省も自浄作用もないネットの「界隈」「クラスタ」の問題もまた、普遍的なものなのです。
蛇足を承知で書いておけば、呉座さんの件の問題は、呉座さんのやったことは確かに悪いけれど、それがここまでことが大きくなったのは、呉座さんと共に悪いネット遊びに興じていた「クラスタ」「界隈」あってのことでした。同じように反省せねばならぬはずの彼らが、逆ギレして暴走したのです。
呉座さんに道を誤らせた責任のある「界隈」「クラスタ」が、呉座さんの誹謗中傷の被害者を、まるでそちらが加害者であるかのようにフレームアップする二次加害を加え、それに対抗措置を取ればさらにネットでスクラム組んで叩く。顛倒したネットの屁理屈に巻き込まれ、呉座さんは無為な訴訟をします。
なるほど「界隈」「クラスタ」は、ネット上では自分たちに有利なイメージを一定瀰漫させることに成功しました。しかしそれはSNS上の陣取り合戦で、実際の社会や生活にはほとんど影響を与えない空間での勝利という、本質的に空しいものでしかありません。学問はネット上で行われるものではありません。
https://x.com/bokukoui/status/1795674900885283296
https://x.com/bokukoui/status/1795817037752938659
この件についての私の思いは、一審判決時に述べました。特に新たに論じることもありませんので、その時のツイートおよびその補足を再掲しておきます。
https://x.com/kambara7/status/1856616329568211348
呉座勇一さんが、日本歴史学協会による声明を名誉毀損だと訴えた訴訟、一審で原告が敗訴してましたが、二審も同様の結果に終わったとのことです。無理からぬことと思います。お互いに無駄な手間をかけただけに終わりました。これ以上の愚行はやめてほしいと痛切に思います。
まだ読めてないけどダウンロードした すごい https://anond.hatelabo.jp/20241114023633
でも「Twitterは我々がずっと使っていた我々のプラットフォームであり、半公共的なパブリックフォーラムだった。そこを金で無理やり自分のものにしたのがマスクであり、我々ではなくマスクこそ出ていくべきなのだ」みたいな意見も分からないでもないんだよね。マスクはプラットフォームがユーザーのものではなく所有者の私物なのだということの見せしめとして名称変更などを行なったわけだけど、それに唯々諾々と従うのでも黙って立ち去るのでもなく、反対勢力として利用し続けることだけがプラットフォームがユーザーのものであることを証明する方法なのだ、みたいな。まあ詭弁ぽくもあるんだけど、完全に否定できない。
ガーディアン(イギリスの左派系新聞)から「もうこれ以上Xに投稿しない理由」というメールが来て、「アメリカ大統領選挙は、X(元Twitter)が有害なメディアであり、所有者であるイーロン・マスクがその影響力を用いて政治的言説を形作ることができるという、我々の従来からの懸念をさらに強調しただけだった」とか言っており、やはり真っ当な倫理観のあるメディアは違うなと思った🥺
https://www.theguardian.com/media/2024/nov/13/why-the-guardian-is-no-longer-posting-on-x
https://www.twitch.tv/blotzky_roar
ランクマg4-443スタート
「国民が死刑を支持する理由として、犯罪被害者の無念と悲しみに共感するからだと分析。」
「ただ、被害者支援の充実と死刑存廃の議論は本来、別問題であり、死刑の是非に関わらず被害者支援のあり方に立ち入って検討する必要がある」
いやー、その通りだよね。
被害者感情に寄り添いながら
死刑の非人道性を考えることはできるはずだし、
本来はこの二つは別の問題。
https://mainichi.jp/articles/20241113/k00/00m/040/268000c
BT この民間有識者の井田先生(てか超有名な刑法学者だけど)の本を読んだけど、刑罰の本質は行為の責任に対する非難可能性であって、被害感情の充足は絶対のものではない(被害者の強い非難感情と行為者の責任の程度とは別個の事情であって、その対立関係から均衡点としての刑罰を科すという理解は誤り)というのが井田先生の考えなんだよね。なぜならそれだと被害感情が強ければ本来責任の少ない行為者に対しても重い刑罰が科されることになりかねないから。
自分も被害感情を必要以上に刑罰理論に組み込むのがよくないのはその通りだと思ってて、生命が奪われた被害者の無念や遺族の強い被害感情に対応する刑罰を与えるという理解(井田先生はこれを「実害対応型の応報刑論」と呼んでいる)によると、例えば天涯孤独の嫌われ者を殺すよりも家族が沢山いて愛されてる人を殺す方が罪が重いということになりかねない。
(それの何が悪いの?と思う人もいるかも。自分は刑罰とはそういうものであってはならないと思う。)
井田先生の本「死刑制度と刑罰理論-死刑はなぜ問題なのか」はちょい難しいけど死刑存廃論議の理論的な背景を知ることができてよかったよ。
https://www.twitch.tv/blotzky_roar
シルバー帯でも十分キツい
続き。思い出を捨てる様な、これってよくないことだよな〜って思いながら、死人に口なしって思うと中々サインできない。お前のガバい思想がサインひとつで叶えてやろうって言ってる俺の愛が信じられないのかと違う炭酸(本物)に言われる。違わない炭酸と話がしたいなと思ってると、賃貸物件検索の間取り画像の反射とかにたまーに写り込んでる仲介業者が、10万分の1で違わない炭酸になってるバグがあって、そこから炭酸を探して、レンガが砂になるまで探して、ようやく見つけたのが違う炭酸だったので、俺はやべーサインしちゃいそう! でも嫌だ! って叫ぶと、違う炭酸(本物)は、俺が以前違わない炭酸に贈った詩を詠んでサインを促す。お、そうか、じゃあ合言葉を言え。言えないな。あぶねー合言葉を忘れていた。合言葉を言え(本当にある)。言えないな。墓穴を掘ったなサインはしねー失せろ! その後で、ちゃんと現実の自分の家に帰って鍵をかけて炭酸のいるベッドで眠って目が覚めた。多分この2,3倍色んな人と喋ったし、海にもいったんだけど、忘れた。
続き。俺は仕事と食事の途中でこんなめにあって、嫌だな。こういう追われてる感じが。と思っていると、炭酸(本物)が出てきて、本当に『モンモンモン』を俺にくれていいのかと聞いてきた。俺は本棚を持たない人生は隔たりとしての宇宙と同じだとか、エラソーなこと言ってた自分が、本棚を埃まみれにしてまで、客の欲望というよりも優越を満たすダセー仕事をにぎやかなレストランでしてる恥知らずになっていて、それでもヤケにならずにいられるのは、お前らみたいな人間に観測されていて、多面的な認識にコラージュされているからじゃないのという話をしたら、炭酸の住むクリーム色の家の前で、いい加減結婚しないかと言われる。してるじゃんと言いかけて、お前の俺は俺じゃないというと、お前の炭酸はもういないから、俺もお前の俺じゃねえけど慰めてやってんじゃねえかと言われて、いつもの俺なら跳ね返せそうな引力が、色んな事が重なって、砂混じりの家の中で、振り子に埃を払わせて、郎党化していく最初は権力に屈しないためのファミリーが、身内とそれ以外とを隔てていき、俺は緩やかな個人の連帯で、人が幸せになるには、宇宙の様な大きな隔たりが必要なんじゃないかとか知ったかぶった話をして、違う炭酸(本物)に、そうさせてくれって言うと、よく読んでこれにサインしろと言われる。続く。
夢で、映画の背景みたいな街に生活すると、体が頭と思う様には動かない。脚本や監督、カメラによって背景が流れていくから、俺もそこにいないといけない。俺にはいろんな映画が染みついているから、低予算で一部屋にだけいたり、ロードムービーみたいに走り回ったり、街中のドブ臭い所を嗅ぎ回ったり、色々していたいんだけど、そんな事をしたらとっちらかってしまうので、俺はレンガ造りの雑居ビルの一階のどデカいイタリアンレストランを経営している美容師に話をつけて、テーブルの上でソフトボールくらいあるライスボールを人魂の天ぷらみたいに食べながら仕事をすると、知らないサークルの同級生からの同窓会の報せが混ざっていた。字は知性を表すとか編集長(知らない人)は言うが、こいつの字はこんなに汚いのに、地球から出もしないで天の川銀河の未来が見えてる。横川。あいつは大嫌いな田舎の道路沿いの家の、水槽がうるさい暗いリビングで、本棚はなく、すぐ目の前の歩道を行き来する人が、曇りガラス越しに水槽の魚を見ようと窓に顔をつけるので、カミソリを貼り付けてあるが、それは向かいの家のシナイという名前のパリピの仕業。俺はまたしても自分の蔵書を新幹線の高架沿いのクリーム色の家に住む友達にあげる。コンクリートの高い危険な動物園の水流廊下を、浮き輪なしで歩く。続く。
https://www.twitch.tv/blotzky_roar
ドームファイト苦手だよおおおお
ここ1,2年、病気とか色々あって配信が不定期だったけど、来週から平日は以前の様に0900〜1600やる。あと夜に3時間追加する。それで年内のソロダイヤ、風神にとどかせたい。
エペは現環境が俺のプレイスタイル、キャラ、武器全てにおいて厳しいけど、始めたばかりのs5とか、プラチナの底が抜けるほどズロズロに床を舐め続けたs8のランクマに比べたら、全然マシ。
鉄拳も自分の実力を出しきることができれば、帝段にそうそう負けることもないくらいの対応力と圧力と割り切りを身につけつつある。課題はステップインガードと、当たる技じゃなくて当てたい技を振ってしまうこと。あと上級者のサブはツラいが。いやでも年内風神あると思うねんな。鉄拳で風神といえばステイタスですよ。世が世ならゲーセンでカード差したら隣のキッズが
「え、ふ、風神!?」
って横からチラチラ視線を感じる段位ですよ。
プレマと段位戦を行き来すると脳みそ焼けそうになるけど頑張るわ。
ゲームを読み解く楽しさを配信をしてます. discord: blotzky_tsd http://twitch.tv/blotzky_roar DMS(ミス研)出身. 成人済み. アライ. フェミニスト. 反トランスヘイト. 映画: ALIEN GATTACA GRAVITY. ゲーム: 隻狼 Witcher3 Deadspace. たぶんシスではない。