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『怪談 一つ目地蔵』観た。因果を際立たせるために、これでもかと執拗な露悪にうんざりするほどだった。話の構造の古さは、そうした観ている者の怒りを煽り立ててくる悪役の醜悪なありさまとも無関係ではないと思う。作品越しに制作者の視線を感じる作品が嫌いなんだけど、めちゃくちゃそれを感じた。ただし陳腐なほどの露悪であっても、積み重ねられた因果というか業というか、ここまで織り込み、引き受けさせたことについては、思わず凄いと言いたくなる。怨む相手が多過ぎるし、怨む理由も多過ぎる。しかしそれにしても、地蔵は誰も救わない。最後に1人だけ救われるのも、人の手によるし、なんならその最後の1人も、実はまるで罪はないけど、積み重ねられた因果によって、こいつが助かるの納得いかねーという気持ちになる。この点まんまと制作に乗せられて、お浪の怨霊以上に恨みが深くなっていた気がする。あの悔しい。というセリフも、その時は俺も正にそう思っていた。悔しい。そうした凄いところも沢山あんだけど、それ自体が批判したい点でもあるし、人物の心情描写もあまりに短絡的でそんなことあるかいと言いたくなることも多い。
ようつべ東映の納涼怪談時代劇特集、最初に観たのが『薄雪太夫より怪談「千鳥ヶ淵」』なのもまずかった。千鳥ヶ淵が面白すぎたので、どうしても比べてしまう。

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