でも楽しいからしちゃうんだよな。ラインのスタンプにはモンモンモンのスタンプもあるし。このコミュニケーションの面白さにかまけることが無いようにしないといけんなっていう
ケア労働の要求は女性にももちろんある。ただ男性のケア要求の文脈において俺の経験上圧倒的少数である女性のケア要求を話すのは非対称でありアンフェアであるし、当然それによって男性のケア要求が相殺されることもない。だがこれをもって「ほら女もしてる」という勝利宣言みたいなのもちょくちょく経験してる。
しかし女性が男性にケアを要求しているとみなされた際に、男性側がそれをあげつらうことはおそらく実情の比率に対して圧倒的に多い。その認識自体がミソジニー由来の誤認によるものだからだと思う。いわゆる「女は楽だな」ってやつ。差別コストの表出でもあるんだけど、これが例えばゲーム界隈だと「姫プ」って言葉になる。以前「姫プは男にも使うから大丈夫」って言われたことがある。「姫プ」とは「姫プレイ」の略称で、パーティを組んでキャリーすることを指すんだけど、キャリー対象を姫と呼称している。この言葉を男に対しても用いるから、そこに性別を意識した要素は無く、問題ないと言いたかったらしい。
であれば、キャリーという言葉を用いるべきで、姫プという性別を限定した言葉が使われる限り、そこに性別のみをを根拠に女性とはゲームが下手で、他者を利用して実力に見合わないレベルや装備やランクを獲得しようとするものである。という無自覚なミソジニーがあり続ける。
ただ、前提となる社会の非対称・権力勾配等について全く無理解な人と話すことはマジで無理だし、疲労困憊慢性倦怠となって全ての気が失せ、「バカは死ね」という気分になってしまうんだけど、マジョリティはすかさず「ほら努力が足りない」とか言ってくるので、「バカは死ね」よりもっと積極的に「バカを殺して世の中ハッピー」とかにならないとダメなんじゃないかってレベルまで気分が落ち込むんだよな。マイノリティやそのアライは常に品行方正で完璧を求められる。マジョリティ様に勘弁願うために。そういうクソッタレに対する市民的不服従だとか、サフラジェットだとか、川崎バス闘争だとかは、やっぱり大事なんではないだろうかって気がしてる。物わかりの良さ、わきまえを要求されたら、思い知るのはどっちだよって怒りは当然だと思うんだよ。こないだいったお前らが俺をキルモンガーにするって話。人生は短く時間は有限なんだし。
中高年の、カミソリ後藤になりたくてしゃーないみたいなオタクを見ると胸がつまされる思いがある。当てこすりじゃなくてマジに。だっておめえ後藤を目指して暇アノンとかどうすりゃいんだよ。繰り返すけど当てこすりじゃなく。全然俺も、あんな風になる可能性あったから、スゲー苦しい。どうにか、どうにか頑張って踏みとどまったり、引き返したり、比較的早いうちに気づいたり、して欲しいと願うしかない。まぁでもそういうのが加害の外注したり、引き受けたりしているわけで、そんな奴に支払う憐憫を、そんな奴らの被害者の支援や連帯に回さねばならないんだけど。俺より年上なんだし、気合入れて手前でケジメつけてくれよって。でも俺とあいつと何が違うって、いやまぁ結構大分かなり違うんだけど、でも運の要素もあるよなあ。
怒りとかもストレートに表明しなくちゃいけなくなってきてると思ってる。バカのフリして逃げを打つ連中に対して。リプツリーの一部が切り取られても極力意味合いが伝わるように、歪曲されないように、矮小化されないように。難しいけど。そういうことを考えてテキストを書いてた。全てがその通りにできていたわけではないけど。んでそれをすると、めちゃくちゃ文章が酷薄とか言われんだよね。余地余白を除いた表現を使うから、相手も折り合いをつけられなくなることがあるって言われたりした。そこら辺もきちんと水を向けたりしてたんだけど、もっともっと気をつかえって。でも、そういう気配りにこれまで寄生されてきたんだよな。無理だよ。