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俺も昔は「ゲームについてけない奴は指くわえて見てな」って考えだった。正直今でもその気配が強い(気をつけていても出てしまうことがある)。
これは「作品は制作者のものであり、難度には根拠がある」という考えだから。でも今は「制作が想定していない消費者に救済があってもいいよね」と考えてる。
ただ、あくまで「救済」であり「手を差し伸べてやってもいい」くらいの上から目線だなって自覚がある。
俺はゲームの難度には理由があって、つまりストーリーだけでいいならゲームにする必要は無く、活字や映像だけでよい。だがこれはゲームで、ストーリー体験の一部として、操作や難度というのは用意されてるんじゃないすか。だから制作の用意した難度に生身でぶつかれよ。ってどうしても思うんだよね。もちろんこれはアクセシビリティとかを考えたらマジョリティの傲慢な考えなんだけど。どうしても、内面化されすぎてしまって、ぬぐい切れていない気がしてならない。

記者がチート使って剣聖倒したけど罪悪感も無くゲーム体験も損なわれなかったとか言ってたのは論外で。

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