#Bluesky は #Fediverse の課題点を技術的に克服しえるものとして #ActivityPub に変わる新たな #ATProtocol を作ったという流れは理解してるけど、その #Fediverse の課題点がそもそも従来のように「SNS はグローバルビューをもつべき」という世界観から見たときの「課題感」だと思っていて、#Fediverse はそもそも「適度に分断し、適度に繋がる」ということを前提として設計されていて理想像がそもそも違うし、それを「#Fediverse には投稿の無断収集に文化的抵抗がある」という話だけでなんとなく「ネガティブで保守的な文化がある」という感じにしか書かれていないのが少し残念だった。
なぜ #Fediverse にそういう文化があって、なんでそれが一定数そこで支持されてるのかということまで深堀りしていくと、そこにはもうちょっとポジティブな見方もできることもあるはずなんだけどなーと。
ただ、どこにでも原理主義的な考えはあるように、たしかに #Fediverse には「勝手にクロールされる」ということに強烈に拒否反応を示す人がいたり、そういう人の声で串刺し検索サービスが「もう無理ー」と潰れてしまったことは、事実、自分が #Mastodon #VivaldiSocial 始めたあとにもあったし、#Mastodon に現状の検索機能にも結構強く反対している人がいたのは見ているので、確かにそういう文化的「傾向」というのはあるとは思うし、対抗する #BlueSky が目指す理想もわかるところはある。
じゃあ #Bluesky が「良い」のか?といえば自分にとってはそんなことはなくて、現状ではむしろ #Bluesky こそ稼働しているインスタンスはほぼ中央集権だし、結局「技術的に分散可能というだけで実質中央集権」みたいな「分散型という傘をかぶっただけの存在」になる可能性はあると思う。
その点、標準化団体が標準技術としてすでに定めている #ActivityPub に対応した複数のソフトフェアがあって、またインスタンスの大小があるにせよ、それらのソフトウェアが使われた複数のサーバーを個人や企業が運用していて、それがすでに連合しているという実績も #Fediverse にはあって、それを無視して従来の SNS の視点でみた「グローバルビューがない」という観点だけ(※)で過小評価するのはフェアじゃないような。
※
アカウントポータビリティは少なくとも にはあるし、スケーラビリティーについても、理論的限界はそうであっても、実際には時間が改善・解決していく部分もあるし、今必要なスケールに対応できているのであればそんなにクリティカルな問題じゃないと個人的には思っている
(つまるところ not for me な記事だったというオチ
(続き)
江戸の国学者達はこれを批判したが、明治維新の指導者達のイデオロギーは基本儒教的でそれが「忠孝」を中心とする教育勅語に結晶した。統一教会も同じだと云ふ。
田中さんは最後に「中国回帰した」日本と中国相互の自慢と攻撃の応酬を心配して文章を終わるのだが、こんなデタラメな話はない。
田中さんは江戸時代には庶民にまで漢詩文が浸透したことを批判的に叙述するが、狂歌、俳句、歌舞伎などは江戸時代に勃興し、明治以降にまで続いたが、日本の植民地侵略とファシズムを止めることはできなかった。また和歌会に見られるように天皇制と密接に結びついたジャンルもある。
いわゆる「日本語」から漢語の影響を排除していく言語学・文献学は本居宣長が江戸期に完成したが、その結果漢語由来の言葉を使わなければ、日本語で概念を含んだ論文は書けないことが分かった。こうした言語の「クレオール」(雑種)は別に日本語に限ったことではない。
ついでに言うと田中さんは「忠孝」イデオロギーと言うが、中国では「考」が上で君主への「忠」はそれより「下」。「忠孝」は明治国家の発明。「臣民」も同じである。
少し前「中国化する日本」という本を書いた与那覇潤という詐欺師がいたが、田中さんもこれでは与那覇と変わらないのでは?
今日の東京新聞に「愛国教育」という田中優子さんのコラム。
前半は、第一次安倍内閣の際(2006)の教育基本法改正に対する批判でこれはもっともなご意見。私も、この時は、デモや集会、国会前行動などにお付き合いした。
安倍はさらに2015年に学校教育法を改正、「大学の自治」をほぼ解体した。これは元来憲法23条「学問の自由はこれを保障する」違反である。
憲法23条は、戦前のファシズムが滝川事件・天皇機関説事件・人民戦線事件などによって「ファシズム」に批判的な大学を弾圧することで最終的に完成したことを踏まえ、新憲法で「言論・表現の自由」から敢て独立して規定された。この教育基本法改正、学校教育法改正は安倍にとってはまさに憲法改正のリハーサルであった。
この2006年の教育基本法改正反対の折、私たちは「新自由主義と国家主義」の結合を強調したが、この頃はまだ新自由主義という概念は一般には理解されなかった。
ところで、田中さんに戻ると、「愛国」の起源を中国に遡る本居宣長振りの「反中」はいただけない。
田中さんによれば、「権威、礼、徳、忠、考、家族、祖先」な価値観は中国から輸入されたもの。
現代の「愛国者」達は実は中国の儒教倫理に基づいており、実は「中国回帰」なのだ、と田中さんは主張する。
きのこ。しろい。くろい切株が好物