いぜんに比べておやこのなかよしがふえたとゆ話を以前きいた。このなかよしが反抗期をとおしておや子ともども個人化したのちにふたたびむすびついた家父長制てき家族かんけなら、問だいは権力の再配分とゆ分かりやすいかたちに切りつめられるので話もかんたんになるのだろろ。
しかしどやらこのなかよしは、家族しゅぎてきな一体かんをたもったまま、子がおとなになるほの意味らしし。他者を主体としてみとめないかたちを維持した家庭からそのまま学校やしゃかいまで出ていくと当然たにんのむちゃな要求をまるのみしたり、逆にそれをひとにむり強いしたりとゆトラブルをうむわけだ。そしてこゆ人間かんけがまん延したところが全体しゅぎ社会なんだな。