とう時のひとがつかっていたにんげんの内心のそしき論をふまえると、たとえ輪廻転生してれいこんが現世にもどってくるにしても、死んだひとのれいがいち時てきにとどまる彼岸はひつようだ。
げんだい人はじぶんの内面でおこることはすべてじぶんのうちがわにそしきする。しかし “たましひ” の実在をみとめていた、かつてのひとたちはじぶんの意図にしたがって構成した内面いがいは、自己の外ぶにそしきしていた。(だからゆめのなかにだれかが現われると、そのひとそのものがじぶんを訪ねてきたと受けとったりした。ゆめのなかのできごとは、じぶんが意図して起こしたことではないからだ。)
ところがそれだとだれかが死んだあとにじぶんの意図とかかわりなくそのひとが内心に現われたときにこまったことになる。死んだひとが生きていると受けとらざるをえないから。それを回避するべんりグッズが「れいこんの存在とそのふめつ」なんだ。それをささえるもうひとつのアクセサリーが「あのよ〜?」ということだ。
つまり、内心で起こることをすべてじぶんのうちがわにそしきしさえすれば、霊魂もあの世も用済みなのよ〜?