紙のメモ帳の時代、自分の汚い字で二度と読み返さないような汚いメモがたまっていくのが苦痛であった。メモ帳も度々無くしたり忘れたりして、複数のメモ帳が同時平行になり、これも苦痛であった。デジタルになったら大丈夫かと思いきや、以前に増して二度と読み返さないような汚い情報がたまっていくので、自分のカオスを見せつけられるようで、よりいっそう苦痛であった。メモを取るのをやめてしまうとかなりスッキリする。
一方でSNSに益体もないことを書き留める事はかなり好きである。矛盾である。役に立つことにコンプレックスがあるのかもしれない。
中年以降,自分の筆跡が大きく変化したこととも関連があるかもしれない。昔描いた手描き図の文字などは,見返すと完全に他人の字に見える。これが認知症の予兆でないことを祈るのみである。