「則宗は俺に……」
発情してるの、という言葉はさすがに口には出せなかった。あまりにも生々しかったからでもあるし、近頃の則宗の様子からそれが今目の前にいる人魚の虚言であるとも思えなかったからでもあった。
うろうろと清光の周りを泳ぎ回ったりじっと熱っぽく見つめたり、そのくせ清光がそっと手を伸ばすと逃げるように身を引いたり、そういった行動の全てに説明がつくではないか。
「人魚は情が強《こわ》いんだ。あいつは特に、今まで一度も番を持たなかったからな。お前への思い入れはよほどだろう」
「今まで一度もって……人魚って季節ごとに相手を変えたりするわけ?」
ひっかかりを覚えて尋ねる。返ってきたのは清光にはあまり嬉しくない答えだった。
「そういう人魚もいる」
突然清光は不安になった。
今の今まで、則宗からの好意や愛情がこの先翳ることなど考えもしなかった。だって自分は則宗に手ずから人魚にされて海まで連れて来られるほど愛されている——そのはずだ。
だがもしそれが、人よりはるかに永い命を持つ人魚の、ほんの気まぐれでしかなかったのだとしたら?
こないだ買ったリュックがあまりにも便利で楽ちんなのでプライベート用のつもりが仕事用にしてしまい、全く同じ型の別の色のやつをプライベート用に買うか別の型のにするかで悩んでる
取り回しがめちゃくちゃ楽だから同じのでもいいんだけどせっかくだから別の型…いやでも今の使い心地で満足してるし…と煩悶
でもさ〜〜〜初夜失敗する則宗は見たいし清光も見たいじゃん〜〜〜
「まあこれからよろしく頼む……と言いたいところだが、今は時期が悪い。早いところ則宗のところへ帰った方がいい」
妙な言い草に清光は眉をひそめた。
「今って何かあるの?」
もしや則宗のあのおかしな態度もその時期とやらが悪いせいなのだろうか。
身を乗り出した清光に、抹茶色の人魚はするすると肩まで砂の中に身を沈めながら頷いた。
「盛り時だ」
「さか……?」
耳慣れない言葉を思わず聞き返す。
「人魚はこの時期に盛りがつく」
繰り返されてようやくその表現が何を意味するのかはわかった。今、人魚は発情期なのだ。
「あんたもそうなの?」
だから早く帰れと言われたのかと納得しかけた清光に、しかし相手は肩をすくめて見せた。
「俺は違う。年を取っているからな、もう盛りはつかない」
「じゃあ別に大丈夫なんじゃないの?」
「俺とお前が平気でも則宗はそうじゃない」
「——」
清光は言葉を失った。
このところの則宗のあの態度は、もしかして自分に対して発情しているせいなのではないかと思い至ったのである。
清光は警戒を隠さず静かに身を引いて距離を取った。
「あんたも人魚に見えるけど」
「人魚が人魚を珍しがったっていいだろう」
理屈である。実際人魚は珍しい生き物だ。現に清光も則宗以外の人魚を知らない。清光はおとなしく頷き、尾鰭をほんの少し揺らした。
「そーね、俺もよその人魚に会ったのってこれがはじめてだし」
相手は頷いてからまたするすると砂の中へ潜り込んでいき、胸あたりまで埋まって砂の上に肘をついた。
「それにしても、こんな季節にねぐらから離れた場所にひとりでいるなんて穏やかじゃないな。則宗と喧嘩でもしたのか」
何気ない調子で告げられた言葉に清光は水の中で飛び上がった。
「則宗のこと知ってるの⁉︎」
驚く清光に、抹茶色の人魚は片方だけあらわになっている瞳をしばたたかせた。
「知っている。お隣さんだからな」
ここってお隣なんだ、と清光は思った。遠くまで泳いで来たつもりだったのに、まだ則宗の行動範囲のほんのわずか外でしかないらしい。人魚の世界にも慣れてきたつもりだったが、かれらの生活のスケールにはまだまだ馴染めていないようだ。
則宗が清光をはじめて抱いたのは、かれを引き取ってから五年ほども経ってからだった。
まるきりそんなつもりがなかったとは、則宗も言うつもりはない。気まぐれで子供を引き取ったのだと言っても「これは手塩にかければ自分好みに育つ」という予感がなければそんな酔狂はしないのだ。それでもその夜の出来事は、則宗にとっては思いの外のことだった。
清光は思い詰めたような顔をして自室へ引き上げようとした則宗を引き留めた。
「今日の謡は上出来だったんでしょ」
とかれは掠れた声で囁いた。
「だったら、ご褒美をちょうだい」
うつむいたうなじまで染めた清光の意図がわからぬはずはなかった。則宗は鷹揚に笑い、そして清光の望みを聞き入れるという体でかれを抱いた。
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