アイデンティティと社会的正義の同一化みたいなやつ
あとそもそもの話だけど、アイデンティティや個性ってその人固有の何かってイメージが強いせいで少数・特殊な性質の部分を自身の個性と捉えがちなのかも。
別に大多数と同じでも固有のものに変わりないし、多数派・凡庸な性質も含むのが多様性なので、世間一般と重なる部分にも目を向けて自分を形作れるようになると不安や疎外感は薄れるんじゃないだろうか。
社会的正義の持ち出しについては攻撃性を抱えるきっかけはそれぞれだろうけど、基本的に「先に相手から攻撃(非難や否定)された意識」は持っている気がするので、そういう意味でも元々社会的カテゴリーで少数派な人のほうが被害者意識のようなものを元に反撃の手段として利用しがちなのかも。
この辺も自分を多面的に捉えて一般的な感覚も含めたアイデンティティを確立できるようになると土台となる柱が増えるし安定もしそうなんだけど本当にそうなのかは分からん。
とりあえず特殊な性質を何もかも個性って言い張る言説と、他人と違う部分のみに注目して多様性を語る風潮はあほかよって思います(暴論)