bluesky で、社会学者スターターパックを読み込んだら
いきなり、真面目な学習全開モードに。
まあ、それは全然構わないのだけれど。
ねっこ的には
もう ご隠居さんの身なので
かわゆい赤さんとお猫様方の合間に含蓄のあるお言葉が時折混じるくらいが
へーわ(^^ である。
お勉強自体は楽しいし。
流石に専門家の方々だけあって
視野の広い目配りの効いた知見と考察
自陣に反する人たちには、口を極めて罵る等をされない
ほっとする。
あれをやるとさ
「賢く」見える(らしいし、快楽物質も盛大に放出される)から、結構やるんだけれどさ。
うん。
皆様。
ねっこは、あれが...うん。
だから、
ねっこは、まあ、活動家?支持者?批評者?には近づかないし。
近づいて欲しくもないでーす(^^;
そーりー
そーりー
ねっこ自身の考えは、勿論あるけれど
>したがって、特定の制度や規範、具体的な見解や判断は、理想に照らして批判されるべきだが、それは人への攻撃に転化されるべきではない。
>理想論の苛烈さを個人の生に押し付けられて疲弊し切った人
SHIMIZU, Akiko
@akishmz.bsky.social
大抵、「赤の他人」を非難して批判して押しつけて食い尽くすよね
猫、あれがうんまあ...
まあ、こういうことになるよね。
「賢く見える私」って、こうなるんです。
往々に。
はい。
ゆーても分からないだろうから
お互い
黙礼で、共存したいのだけれど。
どーかねえ。
「賢く見える私」って
結局「ルサンチマン」を放り出しているというか
うっかりすると、それが原動力になっていて
そりゃもう、フィルターがばりばりなんですよ。
それって、結局、偽装された身体性というか
「イデオロギーが身体化してしまった人間の言葉」(@内田樹
という感覚があって。
もう、
右も左も変わらないような
地下では繋がっているような
勿論一部だろうけれど、そんな感じがとても強くて
うん。
そうなんですよ。
まあ。
猫には、今のところ、そんな感じがどうしても。
はい。
なにかあると、いつも猫はこの文章を思い出すのですが。
それくらい、日本人に取り憑きやすいものなのかもしれません。
生身の弱さについて
内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2011/01/05_1502.html