暴力の普遍性、現代の普遍的暴力性だ。
そのように暴力を語ることは、単に歴史を証言し、現実を告発することにとどまらない。そこには暴力による傷を癒やすことで現実を動かす力がある。
これまで彼の沈黙を前提に維持された社会関係は揺さぶられ、彼を主体として受け入れた新しい関係が生まれる。...個人が経験した暴力の経験を慰める物語は、このように世界のあらゆる所でそのような暴力を経験した人々の再建の過程に染み込む。
強者を同一視し、力の論理を崇める...支配的な文化は、このような水準の道徳的普遍性に近づけない。
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この抜粋、...の韓国という単語を外しただけで、もう、どこででも その通りという文章になるでしょう?
(国名を一時的に外したのは、脊髄反射で脇道にゆかれるのをとりあえず外したいためです。ごめんなさいm(__)m
これは、確かに流れとしてあるとは思う。
>ハン・ガン氏に対する一部の不快感
は、たとえば日本なら
ネトウヨだったり、もっと卑近にいうなら「いじめられる方にも非がある」と言いたがる(とても多い)人達だったり。
それでも
モラハラやDVが、以前よりもカジュアルに口に出せるようになり、共感も増えてきています。
暴力の問題と対決したこの作品たちが世界で強烈な共鳴を得ているという事実
韓国社会の残酷な裏面を映し出す物語は、どのようにして世界の癒やしに寄与するのか。
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大きな流れから、卑近な世界まで。少しづつ、それでも変わってゆく兆しの旗を彼女達が力を振り絞って振ってくれるというなら。
猫は、感謝したいと思う。
#fedibird