>「うつす」とは、たんに原作に似たものを作成する行為ではない。何かをうつそうとする時、私たちの注意はたしかに最初、形を模倣することへと向かう。けれども、いつまでもこの意識が強いままだと、手の動きは臆病で、ぎこちなくなる。うつすことへの執着が、うつすことを邪魔するのである。(中略)原作を描いた手の運動の自在さへと、みずからのそれを沿わせてゆくような気持ち。それがうつすということではないだろうか。
(略)
>うつしにおいて人間が習得すべきことは、いかにして力を入れるかではなく、いかにして力を抜くかということなのかもしれない。
うつしの美学
https://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/2024/04/27-utsushi.html
とても、面白かったです(^^
上記の部分は、習得する時に必ず、起こる...というか、うん。
起こさないと、先へは進めぬぜ!(^^;
の気がする。
○○さん、そっくりの文章とか。
そっくりに書いても、多分全然ダメで。なぜって、てんで面白くないからですよ。多分ね。
文章は、転がり出してゆかないと面白くないです。
グルーブが起きてこないと。
形そっくりに拘泥すると、リズムがうまく生まれてこない(気がする)。
リズムって、些細な部分からなんですね。それには、力を抜く...は大事です。
...なかなか 抜けないのですよ!これが!奥様!!!(^^;
へたっぴにしか力が抜けず、ぺしぺしという音になる、猫の三味線。
あうー涙
(すまぬ。独り言。するーしてね💦
「Voice Engine」の関係は、いやぁ、猫はそんなに悠長には...ですけれど。はい。
猫は、人間の暗い部分を、そんなに軽くは見ないです。はい(^^;
#fedibird