じゃあ早速、思い出の計画倒れ化合物について語ってみるのだ。
ある時アライさんは、「これまで誰も考えたことがないような構造を思いついてヒットを飛ばせないだろうか」と考えていたのだ。頭の中でいろいろと考えていたら、貼った図で「フタラン」と書かれている構造を唐突に思いついたのだ!
図の中で「MDMA」と「メチロン」と書かれているものは世界的に有名な人気ドラッグで、その構造のうち左側の部分は「メチレンジオキシベンゼン」とか「ベンゾジオキソール」と呼ばれるものなのだ。この構造の酸素原子(「O」というローマ字)の位置を入れ替えたものがフタランと呼ばれるものなのだ。
MDMAもメチロンも日本では違法薬物だから市販するわけにはいかないけど、そのフタランアナログ(アナログとは類似品という意味)ならば脱法ドラッグとして大ヒットするに違いないと踏んだのだ。そして大きな希望を抱いてフタラン系ドラッグの合成作戦がスタートしたのだー!
まず最初に決めたのが、MDMAのような非ケトン型(二重結合した酸素がないタイプ)の物を作るのか、メチロンのようなケトン型(二重結合した酸素があるタイプ)の物を作るのかということだったのだ。アライさんはすでにケトン型の物(よくカチノン類と呼ばれるのだ)の合成の経験があったので、ケトン型の物を作ることにしたのだ。それで、前回貼った図で「メチロンのフタランアナログ」と書かれている化合物を作ることにとりあえず決めたのだ。
これを作るためには、フタランにフリーデル・クラフツ反応で塩化プロピオニルを反応させてケトンにした後、臭素を結びつけて、その後メチルアミンと反応させればいいことは簡単に理解できたのだ。
原料のフタランの値段を確かめてみると、国内の試薬メーカーだと25gで2万円ほどするそれなりに高価な試薬だけど、輸入商社に聞いてみたら、大きなロットだともっと安く手に入ることも分かったのだ。しかし、それでも1kg単位で製造するには、もっとコストを下げないといけない気がしたのだー!
そこでアライさんは、とりあえず試薬として売られているフタランを買って目的化合物を作るのと同時並行で、フタランそのものをもっと安い原料から自分で合成するための研究を始めたのだ。
調べた結果、フタランはキシリレンジクロリドやベンゼンジメタノールという原料から合成できることが分かったのだ。やり方は何種類かあって、アライさんはそのうちの1種類でフタランを作ることに成功したのだ。そのやり方は、水酸化カリウム水溶液にキシリレンジクロリドを入れて100℃近くで数時間撹拌し続けるだけという極めて単純な方法なのだ。だけど一つ問題があったのだ。キシリレンジクロリドは安いけれど常温で固体で、しかも試薬瓶の中で粉末状ではなく氷のようにガチガチに固まってたので、取り出すのが一苦労だったのだ。しかも塩化ベンジルの仲間だから刺激性が強いし、取り回しに難儀する試薬なのだ。
なので、いくつかの別なルートも探してみることにしたのだ。今度はベンゼンジメタノールから作るルートで、ベンゼンジメタノールはフタラン以上に高いから、まずベンゼンジメタノールを安い原料から合成する必要があることが分かったのだ。
まずアライさんは、フタル酸をRed-Alという還元剤で還元する方法でベンゼンジメタノールを合成しようとしたのだ。ところが混ぜただけでは反応が起こらず、加熱してもなかなか反応が進まないのでどんどん温度を上げていったら、ある温度に達したところで一気に反応が始まってしまったのだ! 容器からオイルバスに反応液が吹きこぼれまくったので、シリコーンオイルを替える羽目になったのだ…… どうもカルボン酸はRed-Alと即座に反応しないのでかえって反応の制御が難しいのだ。さらにフタル酸が固体であるため反応しにくいという要因もあったと思うのだ。また、Red-Al自体がそこそこの値段なので、この方法をとることは中止したのだ。
もっとよい方法はないか……アライさんはそう考えたのだ。調べた結果、フタリドという化合物を水素化ホウ素カルシウムで還元すれば、ベンゼンジメタノールが作れることが分かったのだ! 水素化ホウ素カルシウムの試薬はすごく高価だけど、安価な水素化ホウ素ナトリウムと塩化カルシウムを混ぜると作れることが判明したので、アライさんは早速試してみたのだ。すると反応液がどんどん白く綺麗なシャーベットのようになって、ついにはマグネチックスターラーの撹拌子が動かなくなってしまったのだ……
だけど、本格的に作る場合はメカニカルスターラーを買えばいいと思ったから、とりあえずこっちの実験の方は途中でやめて、今もそのシャーベット状の反応液をそのまま放置しているのだ。
フタランの製造の話はこれくらいにして、次はいよいよ目的のドラッグを合成しようとした話に進むのだ。
その後、触媒を変えたり、別な原料を反応させてみたり、臭素化のコツを東京化成に聞いたりしていろいろ努力したのだ。試行錯誤の繰り返しだったけど、このまま順調に行けば目的化合物が得られる日も間近……だったはずなのだ。
そんなある日のこと。フタランの試薬の瓶を見たアライさんは妙なことに気付いたのだ。瓶の口のあたりに、何か固体が付着していたのだ。以前にも他の試薬でこういう現象を見たことはあったのだ。2-フェニルエチルアミンの瓶の口の周りには、けっこう固体が付着するのだ。これはおそらく空気中の二酸化炭素と反応してできる炭酸塩(一説にはカルバミン酸塩であるとも言われているのだ)で、アミンの性質上仕方がないことなのだ。でもフタランはアミンではないのだ。だから炭酸塩になるはずがないのだ。
❓ ❓ ❓
アライさんは悩んだのだ。
少し経ったある日、アライさんはフタランの構造がエーテルの一種であることに今更ながら気付いたのだ。ジエチルエーテルやテトラヒドロフランのようにエーテル構造を持つ溶媒は、空気中の酸素に触れると過酸化物を生じやすいので、きちんとガラス瓶の中で空気を遮断して保管しないといけないのだ。過酸化物がたまると何かの拍子に爆発してしまうから、化学者のフレンズはみんな気を付けてるのだ。古いジイソプロピルエーテルの瓶を開けた瞬間に爆発して死亡した人もいるから、過酸化物はまさに獰猛なセルリアン(けものフレンズの敵キャラのこと)なのだー!!
もし、フタランの瓶に付着していた固体が過酸化物だったら合点がいくのだ。だけど調べる手段がないのだ。試しにそれを少し取って押しつぶしたりしてみたのだ。でも発火も爆発もしないのだ……
フタランの分子量からすると過酸化物の占める割合が低いので爆発しにくいだけの可能性もあると思ったのだ。
もし過酸化物だったらいろいろまずいことになるのだ。フタランの持つエーテル構造は、最終的にドラッグが出来上がった後も存在したままだから、そのドラッグも空気中に放置すると過酸化物に変化してしまうのだ。そうなると薬効がどうなるか想像もつかないのだ…… そして最悪の場合、保管中や輸送中に衝撃や摩擦によって発火や爆発してしまう可能性が懸念されるのだ。
アライさんは、このドラッグが郵便で配送されたときに郵便物自動仕分け機を通った衝撃で発火して郵便局が火事になってしまう場面を想像したのだ。そうなったら多額の損害賠償ものなのだ!
アライさんは一部のフレンズから「博士」というあだ名で呼ばれていたのだ。そうなったら「はかせのドラッグ」じゃなくて「はっかせーのドラッグ」と呼ばれてしまうのだ!!
ギャグがつまらなかったらごめんなのだ。
そのうち、アライさんは過酸化物を検出する試験紙があることを知ったのだ。早速買ってみて、フタランの瓶に付いていた固形物に押し当ててみたけど、なぜか色が変わらないのだ。でも、思い付きで試験紙を水で濡らしてから再チャレンジしたら、ちゃんと色が変わったのだ!
間違いなくこれは過酸化物なのだ! しかも、フタランの瓶を開封した日からそんなに日数が経っていないのに固体が生じていたことを考えると、生成速度は結構速いのだ。各種エーテル類の過酸化物の生じやすさの経験則から考えると、ベンジル型エーテルであるフタランは非常に過酸化物の生成が速やかであると推測されるし、実際に速かったのだ。
フタラン系ドラッグの完成を目指して、長々と実験を繰り返してきたアライさんにとっては、この事実はショックだったのだ。と言っても、粉末で販売するのではなく水溶液の形で販売したりするなどすれば、ある程度劣化を抑えて供給できるだろうと思ったし、ここで計画を中止するのは惜しいとも思ったのだ。でも、今のアライさんにはこういった七面倒くさいドラッグの商業化は自分のキャパシティを超えていると思ったのだ。
簡単に言うと、アライさんは面倒くさくなって、このドラッグの研究開発を取りやめたのだ。
その後、アライさんはすっぱりとフタラン系ドラッグの合成をあきらめ、完全に別な構造を模索し始めたのだ。いろいろ作ってみて、効く物もあったし効かない物もあったのだ。そのうちいくつかはツイッターで知り合った人たちにサンプルを送ってみて、好評だった物もあったのだ。いつしか、フタラン系ドラッグの件は過去の思い出になりかけていたのだ。
そんなある日のこと、アライさんはisomerdesign.comというウェブサイトで化合物を検索していたのだ。このサイトはアレクサンダー・シュルギン氏のファンが作ったサイトらしく、様々なドラッグが載っている膨大なデータベースなのだ。多分載ってないだろうと思いつつ、念のためにフタラン構造のフェネチルアミンを入力して検索してみると、意外なことにフタラン構造を持つものが出てきたのだ!
ちなみに今日の時点では、図の5種類が載っているのだ。
これまでこの思い出の化合物の話を述べてきたけど、アライさんにとってはそれなりに楽しい研究の日々だったのだ。結果的には物にならなかったけど、このように力を注いだ作品が没になることは、製薬会社でも一般企業でも漫画家とかでも普通にあることなのだ。
だけど、アライさんにとってはこの努力の日々が、自分の中だけで秘密にしたまま埋もれてしまうのは惜しいと思ったのだ。だからこうやって公表したのだ。