眠い目こすって考えるべき話題ではないのは承知の上で書いてみると、
反出生主義の例のマトリクスは
「『幸福な主体を存在せしめない』ことは『幸福な主体を存在せしめる』ことよりも『"倫理的悪さ"について中立』」かつ「『不幸な主体を存在せしめる』ことは『不幸な主体を存在せしめない』ことよりも『倫理的に悪い』」という仮定から「『主体を存在せしめる』ことは『主体を存在せしめない』ことよりも必ず倫理的に悪い」ということまでは何となく腑に落ちるのですが、これが"倫理的良さ"の話となると「『幸福な主体を存在せしめない』ことは『幸福な主体を存在せしめる』ことと比して"倫理的良さ"について中立または良い」ということを言わねばならず蓋然性がガタ落ちするような気がしてしまいます。
これはおそらくゲーム理論脳で各項目を(序数的に)比較してしまうと変な結論が出る、という話だろうなとは思いますが…