昨日あたりから、しんどいです。
頭とか古傷は痛いし、気怠い。
落ち着かなくて、イライラしてしまう。
全部これ低気圧の仕業。
私はねぐらに閉じこもり、雨戸も閉め切って過ごしていました。
画像は荒天となる前に撮影した、自宅庭の眺め。今、ハナミズキが満開です。シャクヤクも咲いているはず。
けれど自宅に住まう私の家族たちは、花に気がついていません。興味がない人たちだから。こんなにも綺麗な花々を愛でません。
私は昨夜問いかけました。
「私がそこに居ない暮らしはどうですか?」と。
夫は「いやだ」と即答。
ーーでは、子供はどう思っているのかな? あなたから聞いてみてほしい。
そう追加でリクエストしましたが、聞くことを拒否されています。
先日、子供から「自分に用があるなら全て父を通して」と要望されていまして、だからこそ夫を介して尋ねたんですけれど。
そろそろ問いかけてから24時間が経過します。
答えはまだ。
「勝手に待っている」って、また夫は言うかな。
今、夫と(そこそこ)スムーズにやり取りできる事柄は、子供にかかった学費の申告(私が負担してます)や、簡単な連絡事項(私宛の郵便が届いているとか)くらい。
まるで月面着陸を試みた探査機のよう。
見えるところもあるけど、やりとりできない。もどかしい。
家を出て3年目の冬。
家出当初は「元通り」を願って、がむしゃらに動いていました。
たくさんの「専門窓口」に相談したし、家族に色んな提案もしたけど、拒絶されてばかりの日々。
疲れ切って諦めはじめたのが昨年半ば頃かな。
そうしたら、気がついたんです。
私、「私」を忘れていたなと。
好きなコトやモノ、なんで忘れていられたのだろう? 結婚して以来、日々を過ごすことに精一杯で、長らく余裕がなかったのかもしれません。
私の人生、どんな最期を迎えるかは分からないけど、「このまま」「現状維持」では私は後悔に塗れたまま、最後のため息をついて、あちらの岸へ渡ることになるのは確実です。
そんなのは、まっぴらごめんです。
今、断捨離を少しずつ進めながら、これからの時間をどう過ごすか、自分はどうありたいか、考えています。
私に出来ることは少ないかもしれないけど、物書き時代のように少しでも誰かに「ほっこり」する時間を提供できたら嬉しいなぁ。
そんな「軸」は変わっていないようです。
凍てつく寒さの中でも変わらず咲く蝋梅を見上げながら、私もかくありたいと思ったりしています。
物語や糸、ご縁を編みつなぐ人。アニメ系脚本家(隠居)。現在は手芸イベントプロデューサー。キジトラ猫とシナモン文鳥、アキクサインコ、セキセイインコと暮らしています。「明日天気堂」という屋号であちこちに出没中。色んな沼の民です。ブックマンション吉祥寺、神保町PASSAGEbis! と SOLIDAで一棚本屋さんをしています。ただいま愚痴りがちにつき、鍵かけてます。ごめんなさい🙏