ありていに言うと親の体調が少しよくないのだが、離れて暮らしているのでじゃあ明日帰るから〜というのもかなり難しい距離
どちらかというとわたしより親のほうが「今動くの色々心配だから今は来ないでくれ」というタイプ
週末に親から「調子悪いんで火曜日に検査行ってくる」って聞いて、そこからこの数日、生きるとは…仕事とは…推しとは…ってだいぶいっぱい考え事しちゃった

で、結局行き着いたのは「病気や今際の際に家族にしてあげられることについて、もっと何かあったのではないか、と死後に考えてしまいがちだけど、本人の生きる力が最後はすべてなんじゃないか」ってこと
これは父が亡くなった時のことも思い出してのことだけど
結局どうすればよかったのかって正解があるものじゃないし…って思ったら、
家族がもっと何かしてあげられたんじゃないか、も不正解じゃないけど、やっぱり本人が最後まで生き抜く・生き抜いたってたことだけは正解でいいんじゃないかなって

そう思えたら、父が亡くなった時から十数年ずっと持ってたふわっとした疑問も、今母が調子悪くて闇雲に心配になってるのも、なんかちょっとストンと落ち着いたというか…冷静になれたっていうか。

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おば(75)から電話きて、おかんについて長話をしたんだけど、
おばも「結局は(誰しも)当人の生きる力」というところに行き着いていて、
わたしはおばとはだいぶ異なる生き方だと自認しているのだが最終的にどう生ききるかという点については見てる方向が同じなんだなぁと実感したのであった
ここが意識的に一致してるのは家族親戚の中でもおそらくわたしとおばくらいなのではないかと感じたので、得るものが多い通話だった
QT: fedibird.com/@ajik00444/110020
[参照]

aj  
ありていに言うと親の体調が少しよくないのだが、離れて暮らしているのでじゃあ明日帰るから〜というのもかなり難しい距離 どちらかというとわたしより親のほうが「今動くの色々心配だから今は来ないでくれ」というタイプ 週末に親から「調子悪いんで火曜日に検査行ってくる」って聞いて、そこからこの数日、生きる...
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