>“本書では、会話を打ち切らざるをえない状況が生じることを、コミュニケーションという「公道」における「事故」というメタファーをもちいて論じています。
このメタファーをさらに続けるならば、こうした事故の「責任」は――じっさいの事故がそうであるように――、最終的に事故を起こしたことばの乗り手だけのものではないでしょう。
事故の状況によっては、そうした運転を余儀なくされる状況にまで追い込んだほかの乗り手たちの側に責任が求められる場合もありうるのです。”
(朱喜哲 著『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』 62ページより引用)
腐されたり雑に扱われがちな「正義」という言葉について、ローティを引きながら丁寧に語られている。