もしも『華麗なるギャツビー』とか『ファイト・クラブ』のように、ホモソーシャルボーイズクラブ側のキャラクター視点で語られていたなら鳳暁生のことももっと愛せたんじゃないかと最近思うんだけど、自分のことをウテナやディオスだと思い込んでる世界の果てになりかけの中年がこういうことを考えるのはわりと自己愛とか自己憐憫とか自己陶酔の話になりそうなんだよな、もっと萌え消費したいという本音があるとはいえ……(?)

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本当は最終回のアンシーのように決断して生きられたらいいんだけど、見捨てられて放置された「鳳暁生」が、惨めで可哀想なだけの存在で終わるわけではなくて、被害者意識を拗らせて逆恨みのすえ弱者に対してより一層攻撃的になるということがこの数年で随分と可視化されたように思うので、難しいなあと思う

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