実際、X(旧Twitter)で違反報告なんかしまくってた弊害なのか「あ!これは差別的だな!」というものを見つけた時の感覚って自分の中でもわかりやすい、お決まりのリアクションを呼び起こすものになりつつあって、本当に「差別をなくしたい」と思っているのか……?というのはよく考える。
反射的に反差別っぽい「お決まりの感情リアクション」を起こせたらそれで満足なのでは?みたいな。
こういうことを考えれば考えるほど、構造に取り込まれて差別的な考えに染まりきっている人達の言動を、強く非難したり乱暴に糾弾するのって、長い目でみたらむしろ逆効果なのでは?と思ってしまう。
かといって今死にそうになって苦しんでる人がいることを思うと、瞬発力のある強いアクションが必要なのも確かだし、そういうアクションの数が足りてないのも事実だと思う。
本当はひとつひとつのケースに寄り添えるだけの余裕がもっとあればいいんだけどな…。
それぞれがいちいち考えて自分に出来ることをやってくしかないんだろうけど難しいよな〜。