被害者が加害者を許したり優しくケアする必要はマジで本当に無いけど、差別や加害を無くしたいと考えている人達のとりあえずの現実的な落とし所(?)ってどういう感じなんだろう

差別をすること、差別をやめること、差別に反対していくことってそんなパッキリ綺麗に分かれている話じゃないと思うし、重なってたりグラデーションだったりする中で『正しい』反差別は勿論すべての人が目指すべき道ではあるものの、実際問題、現時点(通過点)での目標みたいなものってあっても駄目なのかな
いや書いてて思ったけどそういうのはあんまり良くない気がするな…どうなんだろう…

こういう時にアライの存在が重要になってくると思うんだけど、観測範囲だと(自分も含めて)なんらかの当事者が別の差別に関してアライでいるケースが多くて、何か不安というか心配になる

個人的にはアライを増やすことはかなり大切だと思うものの、私は自分自身が全然ちゃんとしたアライになれてないという負い目がある
当事者視点では「完璧なアライなんて存在しないんだから誰もが自分を大切にしながら一人ひとり出来ることをやってくれたら嬉しいし助かる」なんだけどな
ていうかこんなこと考えて悩んでる時点で私こそまだそんな地点なの!?てかんじなんだよな

「じゃあどうしろって言うんだよ」というキレに対して「それくらい自分で考えろ」と返すのはなんか……言うのも言われるのも厳しすぎて嫌というか………… いや私が怠惰で無能な邪悪人間だからそんなふうに思うのか!!??そうかも

そもそも「じゃあどうしろって言うんだよ」自体が良くないというのは大前提なんだけど、でも人間てめちゃくちゃこういうとこあるじゃん……

一応言っておくと、直接の加害者と被害者の間にあって良いやり取りではないです
被害者はそれこそ「それくらい自分で考えろ」と言う権利がある(でも権利を行使したらどうなるかまではケースバイケースすぎる……)

私には頑張っても出来ないことがあまりにも多すぎるので、人が自然に出来ないことを怒られたり責められてるのを目にするのって勝手にすごいつらくなっちゃうのかもしれないな…?

自分の場合、目の当たりにするとしんどくなるようなことって考えないとか見て見ぬ振りするとか知らないままでいるとかが多分一番楽なんだけど、「私はそれは嫌だな……!!!」という一点で動いている部分が大きくて、でもこの「それは嫌だな」がいつ折れたり反転するかも自分にはわからないし、すべての人間がそれを嫌だと思えるわけでも頑張れるわけでもないだろうと考えているので、大多数の人間が頑張らなくても無理しなくても意地にならなくても自然と差別や加害がやめられるようなイカしたシステムが欲しい 欲しいよ〜

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今つらい思いをしてる・過去にしてきた人達の傷や悲しみや切実さを蔑ろにしたいわけでも、「だから差別を許そう!」と言ってるわけでもないです……
そもそも差別って命にかかわる急を要することだし…

かといって差別が組み込まれている構造というものがすでにあって、それをどうにかしないと構造の中で生活している人間の意志とは無関係であっても差別は続いてしまうわけで、だから早く差別を禁止するシステムを作って運用してくれという話になるんだよな……………

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