結局Twitterでの話題に触発されてこっちに書いてしまうのは…

「業としての学問」という言を、個人的なレベルで私も考えていて。
つまり一度「研究者」になった人間は自分の意志でそれをやめることは出来ないのではないか。自分も心機一転別の道に進もうと思ったこともあるし、現状を端から見ればこれで研究者なのかと不審に思われそうだが、自分という人間の中核に「研究者性」というしかない性質があって、それに人生を掴まれている、ような感覚がある。

twitter.com/brighthelmer/statu

文章でも、絵でも、音楽でも創作するというのは(それで食べていけるいけないに関わらず)やむにやまれずやってしまうようなことだと思ってます

創作を続けた結果、職業にできてそれで食べれることもあれば、一生売れなくてそれだけでは食べれないかもしれない

でも結果は事前に予想できない、些細な違いであって、表現したいことがあれば、創作すればいい
大いに創作するのが良いと思います
結果が出ないといって辞めてしまえるのであれば、それもいいでしょう

表現していて人目に触れさせると磨かれ、垢ぬけるという事もあるけれど、人目に触れさせないでも自分の求めるものを表現していって研鑽するというやり方もあります
どんなやり方を選ぶにしても、そこにはなんの縛りはありません

表現したいなら、書き、描き、奏で、ただ創り続けるだけです
創作は時に辛いですが大きな喜びをもたらしてくれます

私は職業的なデザイナー/イラストレーターですがそれは若い日から続けていた結果たまたまそうなったのであって、それとは別に自分の絵を描くことをあきらめてはいません

創ることを止めようかと考えている人に何度でも言いたい
創るのが辛いなら休んでもいいと思います

でもあなたに表現したい衝動があるなら作り続けてください
何故ならそれ自体があなたを救うからです

以前、「研究者という業」みたいな考えを投稿しました。

今日出会った、「創作」についてのこちらの考察と、通じるものがありそうで、参照で結んでみます。さて。

[参照]

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