これは、あらゆる障害者が「不自由」と感じるものごとの本質なのだが、生活において健常者とは異なる「他者の手を借りなくてはならない」状況が何よりストレスなのだ。駅員にお声がけくださいとかスタッフがお手伝いします、とか、それはたしかに解決の手段で、健常者側からは数百人に一人の割合で発生するだけの業務かもしれないが、障害者本人にとっては、日常生活の一から十までが「他者の手を煩わせる」行動になってしまう。そのストレス、というのはもっと想像されてほしいと思う。

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完全解決、ってのは難しいよねえ。

街の全てがユニバーサルデザインに出来ても、必ず誰かは「手を借りないと」ならない状況が生まれる。
ソレが健常者も『同様』で、誰かがヘルプするのもされるのも
「至極、当たり前」になるには、根本的な意思改革が必要で…

当然、そんなコトみんな承知なのに、そうならないのは何故だろうか。

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