午前中から判決が言い渡されており、極刑が言い渡される際の慣例である主文が後回しにされたこと、有罪であると最初に述べられたこと、そして心神喪失でも心神耗弱でもなくて完全責任能力があると判断したことは報道で伝わってきたのだけど、以前からずっと関心を寄せている責任能力の判定についてどういう根拠に基づいて完全な責任能力を認定したのかがまったく伝わってこない。これまでの報道でも責任能力の有無が最大の争点と報じられてきたところなので、そこはしっかり知りたいし、しっかり報じてほしいところ。

mstdn.mrmts.com/@mrmts/1115415 [参照]

 京都アニメーション放火殺人事件(京アニ放火殺人事件)について。X(旧Twitter)なんかを見ていると、みんな人を死刑にしたいんだなあという殺伐とした雰囲気が伝わってきて、とてもつらい気持ちになる。

 おそろしいのは、心神喪失でも心神耗弱でも関係なく死刑にすべきだと言っている人がたくさんいること。心神喪失や心神耗弱で無罪や減刑になるのはおかしいと主張している人がたくさんいること。人を殺したのだから死刑になるのは当たり前で責任能力なんて関係ないと言っているわけで、とてつもなくおぞましい。

 こういう考え方の先に「パレスチナ人は皆殺しにしてしまえ、みんな悪党なのだから」という思想があるわけで、それによって新生児や乳児や無抵抗の人びとを無差別に殺りくすることが肯定されるのよね。

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学生時代の友人宅が、精神障害をもつ近隣住民に放火されたと聞いた事がある。保険も降りず民事訴訟も出来なかったらしい。

心身喪失状態の被告人を、無分別に「死刑」にするのは間違いなくオカシイが

保険会社でも、行政でも『被害を受けたヒト』にちゃんとした保証がなされるのか、疑問だ。

友人の話は、大昔の事で仔細を知る由も無いが

結局はこの国の、政治、福祉の問題が根深いように思う。

自動車事故でも、車検切れの車とトラブっても、保証はどこからもされない。

心神喪失、心神耗弱の状態にある者によって被った被害だけでなく、責任能力のある者から被った被害についても賠償金が支払われない場合がほとんどで、これは心神喪失者、心神耗弱者だけの問題ではないですね。

 何らかの形で被害者やその家族・遺族に補償される仕組みを整えることが必要ですし、ある程度は国が責任をもって補償する仕組みが望ましいと私は考えていますが、すべてをそれで補うことは事実上不可能だとも考えており、本来的にはみんなが安心して安全に暮らしていける社会の実現に私たち自身が努力していくこと、そちらの側にも行政が適切な支出をしていくことを組み合わせて取り組んでいかなければならない問題だと思います。

まったく同意します。

ただ、完璧でなくとも国が保証する制度は非常に重要だと感じます。

なにしろ世界一の税負担、使い道をしっかりしてもらわないと。

誤解のないように書いておきますが、私は「完璧でなくとも国が補償する制度が非常に重要だ」ということを先の投稿で書いたつもりです。

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