マジョリティのみなさまにとって政治的自由はあまりに不可視で透明(空気のようにあって当たり前のもの)だから、「自由」の話をする時になにかを積極的に働きかけたり、自分をより高めようとする「〜への自由」のことだけを「自由」と感じている人もいるんだろうけど、政治的自由っていうのは抑圧や強制「からの」自由が先で、この抑圧や強制からの自由が差別(差別って言うといまだに意志を持って排除、攻撃するものだけをそう呼ぶと考えてる人もいると思うけど違います→構造的差別)によって制限されている人たちがいるんですよ、という話、が、こんなに伝わらないですかね〜という感じ。
まあ、教育なんだろうな。義務教育の社会科や公民でこんなに基本的で重要なことをそういう風に教育されましたかって言われると、あんまり覚えてないんだよな。こういうことですら自分で勉強しようと思って勉強したって記憶の方が確かだよ。