(引用)
“あの日殺されたのは私だ”
“「この人は死んだほうがいいか、生きててもいいか、この人に死んでほしいと思うか」という問いかけを、対象を「障害者」に置き換えたら問題ないと考える人がこんなにもいる”
昨日はどうにか自分を鼓舞して自分にケーキを与えられたけれど
【わたしは誰からも生存を望まれぬ身】だと、生年月日を訊かれるたびに息が詰まる
避難先家庭と被虐待環境で自分の誕生日の扱いが真逆だった経験からも
基本的に社会の大多数から非存在を望まれている、と7年前に強く再認識させられた
「年齢を重ねる=社会的価値がガクッと下がったことの証明であるから、誕生日を祝われる=おまえの価値はまた下がったなと指摘されるのがいやだ」というシス女性・健常者・親御さんとの関係は良好な知人がいる
出生時から当然に、近しい人から出生と無事の生存を寿ぎ、未来の安寧を祈られてきただろう人にも、呪いはかかるらしいけれど
https://twitter.com/ayammin/status/1684267578913595393?s=46&t=0E3gEsWGNwNBS2el3Xrssw