この話を殊更に持ち上げて話をする時点で、固定観念にとらわれていることのあらわれのようで恥ずかしいのだけど。
弱冠16歳の男性アーティストの一人称が、公の場(Twitterやインスタライブだけでなくインタビュー記事やテレビ収録)であっても自身の名前であることに萌えと、それが冷やかされたり止められたりする環境でないことへの喜びを感じる。
一人称がなんであってもべつに他人を傷つけるわけでないので本来は自由であるはずなのに、そういえばわたしはいままで「名前で自身を呼称することは子供っぽくて恥ずかしいことだ」「公でそうするのは失礼に当たる」と考えてしまっていたかもしれない。
もちろんやめるのも本人の自由だけど、やめないでほしいなあ。なんだか聞くたびにハッとさせられるので。あと可愛いし。