正義を掲げ、怒声を上げながら周りを動かそうとする人が、主張の内容いかんに関わらず、苦手なのだが。
理由が分かったと思う。
中学生時代のいじめっ子と同じ匂いがするからだな、と。
その人は、気に入らない相手をターゲットに周囲に「許せない故、無視しよう」と働きかけるタイプだった。
ちなみに、私は、初めターゲットではなかったが、「え、よくないよ。やめようよ」とやめる方へ皆を誘導し、ターゲットになった(苦笑)。・・・まあ、2回も阻止したら、邪魔になるよねえ。
圧迫して周囲を動かそうとする人は、あれこれ理由をつける。だが、行動は、周囲を圧迫することで、「自分の思い通りに動かそう」ことに主眼がある。
怒鳴りつけなくても、脅さなくても、通常、人は、話し合うことができる。問題を解決するのに、大声も、怒鳴り声も、脅迫も、本来は必要ない。
大切なのは、攻撃することでも、自分の思い通りに事を進めることでもなく、「起こっている問題を解決する」ことのはず。
集団の場合、問題が起こった時、「誰が悪い」という発想をすると、問題の解決は、遠のきやすい(個々人や極少人数の場合は別)。
人の悪意を抑える仕組み、極力皆が幸せでいられる仕組み---人は、思われるほど独立的でも自立してもいない。だから、良い仕組みは、大切になる
心配されるかもしれないので・・・
中学校時代の話、そのつもりはなかったけど、結果的に「勝ち」を収めましたです。
戦ったわけではなく、「あ、そうですか」と他の人と楽しく過ごしていただけなのだけれども。
この時、いろんなことを学んだ。とてもいい経験だったと思う。
人ひとりひとり、個々人がばらでいる時と、集団の一部として存在している時との振る舞いの違いをこれで深く知った部分もある。そういうものか、と。
運が良かった部分もあるので、「これで上手く行く」とはなかなか言えないのだけれども、いつか書きたいような気もしている。誰かの役に立つかもしれないから。
あの時一緒に楽しくやってくれる人がいた---それが最大の幸運だったと思いまする。もう連絡先も何も分からないし、今どうしているかも、全く分からないけれども、今もとても感謝していますです。