「教員職自体の人気は衰えていない。受験のチャンスを増やすことで、より多くの人に応募してほしい」とは…。都教委の現状認識は極めて甘い。
現場の教員は何から何まで仕事を押し付けられて疲弊しきっている。誠実な教員であればあるほど…。
公立学校の教員には時間外手当が無いことを良いことにして管理職は児童生徒を盾にして教員を追い詰める。身の交わし方を心得ている熟練の教員はもはや若手を庇ってやるだけの余裕はない。ということで希望に燃えて教職に就いた筈の若者は自分の職業選択を間違えたことにほどなく気づく…。
教職課程を履修する学生は驚くほど減った。都教委の如き小手先の「改革」では何の解決にもならないと思い知るべきだ。
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志願者が減っているから…東京都の教員採用試験、大学3年から受験可能に 「現場に魅力がないと」の懸念も:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/229210?rct=life
そう考えると(まあ単純に文化資本の話になっちゃうのですが)家に良質(だと個人的に思っている)な児童文学・絵本の類いから小説まで本があって図書館へのアクセスが地理的に悪かったけどなんだかんだ悪くなかったのは幸運だったというかそれはとても恵まれていたと思うな。最近読んだ小説だって感じるところがないわけじゃないけど昔読んだもので感覚の根が構成されている部分はあるので
歳を重ねて、ティーンだった時のどこにも行けないから死を求めてしまうような感覚に囚われることも少なくなった代わりに自分のでない死と出くわしたり伝え聞いたりすることも増えて、確実に自分の終わりも近づいて来ることがリアルな手触りで感じられるようになった。タイムリミットまでに何をどう変えられるだろうか、何を後に生きる人間に残せるのか考えなくては。
色んな意味で自分は普通の子じゃなかったんだろうな〜いや今でも色んな方向に変な人だが
non-binary(Agender)ヨルノソラだよ。こっちは割とたぶんプライベートなこと喋るよ