とうらぶの未来展で、山姥切国広(男士)が「俺を作った人は勉強熱心で過去の刀を手本としていた。その集大成が山姥切国広だ」って言ってるパネルがあるのをXで見たんだけど
一瞬おぉ…!って沸いたものの、
次の瞬間「いや待て、國廣の経歴で山姥切國廣はまだ京で活躍する前だし集大成とは言えないのでは?」という感想が出てきた。相変わらずである。
伊東家にもそりゃあ伝来の良いお刀はいろいろあっただろうけども、九州時代の作風はいかにも九州鍛治という風情で古刀上作の倣いは見た記憶が無いし、
美濃で大道との合作を作ったり足利学校に行ったり長義の写しを作ったりはしているけど、やっぱりこの頃のものに倣いはまだそこまで多くないような……。
國廣が名を上げていくのはやっぱり慶長以降の洛陽堀川に腰を据えてからのような気がする。京の都で依頼を受けていくなかで、名家所蔵の名品も見せてもらったのではないかなぁ。その需に応じた相州上作倣いだと思うんだよな……。
勉強熱心ではあっただろうが、山姥切は國廣の典型でもないし、通過点の一作(しかし出来はべらぼうに良い)だと思うんだよなぁ……。集大成……?
京都時代の最高傑作はどれって訊かれてもちょっと答えにくいのがまた難しいところ
あぁ、あれかな、孕み龍の彫り物のやつ。焼き刃がギリギリまで迫ってる絶妙なバランスの
慶長以降の國廣は彫り物で評価される部分も大きいからなぁ……難しい