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2021年2月21日、双葉町新山。この年の2月13日の地震で倒壊したと思われる家屋。しかし誰も住まない双葉町での出来事は、全くニュースにはならない。

2021年2月21日、双葉町新山清戸迫。「ここまで特定復興再生拠点区域」「この先帰還困難区域につき通行止め」2つの線が交差する。2022年8月30日、避難指示解除。そして今また、帰還困難区域内に線が引かれようとしている。その度に被害者は選択を迫られる。

2021年2月21日、双葉町前田。震災後から10年間放置され荒れ果てた工場の事務所。駅前の聖火リレーの呆れた喧騒もここに届くことはなかった。見せかけのセレモニーで「復興」が演出される。

2021年2月20日、双葉町長塚鬼木。双葉駅から徒歩3分ほどで行けるこの場所も、東京五輪の聖火リレーが走ることはなかった。「被災地の実情」など伝わるはずもない。

2021年2月20日、双葉町長塚町西。双葉駅からわずか100m、しかし聖火リレーはこんな場所は走らなかったし、紹介もされなかった。テレビを見て、何も知らない人だけが「福島は復興した」といい、こうした写真を公開する者を「風評加害者」と誹謗中傷する。

2021年2月20日、双葉町立双葉北小学校。放置された車が寂しく佇む。かつては未来を担う子供らが集ったこの場所も、この時はゼネコンの資材置き場と化していた。聖火リレーはこういう場所は走らない。何故なら、ここは為政者にとって福島ではないからだ。

2021年2月21日、双葉町前田。真新しいフレコンバッグが大量に並ぶ。この前を聖火リレーが走ってこそ「福島の光と影」と思うのだが、実際は駅前をぐるぐる回るだけだった。

2020年6月8日、双葉総合運動公園野球場。中間貯蔵施設エリア。名門野球部があった双葉高校は閉校となり、町民のための野球場は放射性廃棄物の仮置場となった。

2020年6月7日、大熊町下野上清水。2011年3月で歩みを止めた町。ここものちに解体され、「なかったこと」にされる。

2020年6月7日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。2017年休校。校庭では、帰らない生徒たちを寂しく一本の樹が待つ。ここもいずれは解体される。

2021年2月20日、双葉駅西口にて。22年春の避難指示解除に向け、西口駅前では復興住宅の整備中だった(この後、避難指示解除は22年8月30日に延期、復興住宅の完成は地盤に問題があることがわかり、10月1日へとずれ込んだ)。当時、駅西口は黒い土嚢に囲まれて外に出ることが出来ず、ここまで来るには大きく迂回する必要があった。

2021年2月20日、双葉町長塚町。晒しもののように10年間放置された店舗から慟哭が聞こえる。

2021年2月20日、双葉町新山富永。福島県内各所から集められた大量の汚染土は、中間貯蔵施設エリアだけでは収まりきらない。そこで生み出されたのが汚染土壌の再利用であり除染なしの避難指示解除。そこに「科学」は存在せず、全ては場当たり的だ。

2021年2月20日、旧双葉町役場から中間貯蔵施設エリアの仮置場を臨む。「放射能デマ」がどうのこうのなんて馬鹿げた話は、ここでは一切ない。

2021年2月20日、双葉町長塚寺内前。放射性プルームが通り抜けたこのエリアは酷く汚染されていて、フォローアップ除染がされた今でも非常に線量が高い。計画ではここは「創生ゾーン」として働く場所になるというが、おそらくそれはずっと遠く先の話だ。

2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。海岸沿いから1km先の1Fを臨む。不可能な「廃炉」という言葉にしがみつき、今もカネを食いつぶし人を被曝させ傷つける。

2020年8月27日、双葉町長塚。解体の同意も取れず放置されたままの廃墟は、2022年8月30日に避難指示解除された後もそこかしこに存在する。

2020年3月15日、富岡町小良ヶ浜深谷。フレコンバッグの向こうは無人の帰還困難区域。テレビではタブーの風景。

2021年2月21日、双葉町前田。0.80、0.84、0.82…汚染土から放出される放射線量が表面に書かれている。この数字は震災前の20倍を超える。健康被害があるかないかは関係ない。震災前と比べてどれだけ汚染されたか。それが「実害」だ。

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