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2020年3月15日、双葉町長塚。震災後、地震で壊れたまま放置されていた橋。原発事故さえなければ、こんなことにはならなかった。

2020年3月15日、双葉町長塚。車道中央は1.0μSv/h、しかし両脇は3.0〜4.0μSv/h(現在は解体とフォローアップ除染により半分程度に下がった)。奥に見える小山は、5.0μSv/hを超える場所がいくつもある。ここは放射性プルームが通り抜けた場所。こんな場所にも、線量計も持たずに高校生が訪れる。

2020年3月15日、双葉町長塚。立入規制が緩和された直後は、こんな家があちこちにあった。今は解体され、跡形もなく更地になっている。

2020年8月26日、双葉駅前。17時を過ぎると駅前から人の姿は消え、静まり返る。この当時は誰一人住まない町だった。避難指示解除された今もほぼ状況は変わらない。

2020年3月15日、双葉町長塚。特定復興再生拠点区域として立入が自由になった直後は、こんな風景があちこちに点在していた。2022年8月30日、避難指示解除。多くの家屋が解体されたが、今も放置された場所は多い。

2020年3月13日、浪江町請戸。海のすぐそばに作られた減容化施設から、もくもくと煙が上がる。目の前では稲作が再開されており、ロケーションは最悪だ。

2019年11月10日、浪江町川添。中上ノ原団地。地震で壊れた様子もなく、内陸で高台のこの場所には津波も来ない。原発事故がなければ、ここには震災前の暮らしが戻っていた。今は解体され、更地になっている。

2020年3月6日、浪江町立苅野小学校。ここもやはり、体育館は避難した当時のままだった。2021年5月、東京五輪の直前に解体。

ミニ絵本『はかないもの』より⑤(終)

ずっとここにいた
ずっと 11年だよ
ずっと待ち続けて
たくさん倒れた
たくさん苦しんだ 人も 動物も
そして 別の世界が生まれた
    人のいない 別世界

そんな別世界に また人がやってきた
わがまま 勝手 弱いくせに 強がって

みているよ 山も川も海も空も
みられているよ

(大熊町立大野小学校にて)

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ミニ絵本『はかないもの』より④

ずっとさみしかった
 今も待っているんだよ
 でも もうだめかもしれないね

(大熊町下野上大野にて)

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ミニ絵本『はかないもの』より③

すごい緑におおわれている
  いっぱい空気が吸えて気持ちいい
  おいていかれた私たちを
           癒してくれる

(大熊町下野上大野にて)

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ミニ絵本『はかないもの』より②

 今また人が帰り
 思いでもろとも 建てものを解体し
 木を伐採し 草を刈りとり
 土をひっくり返し 生きものを殺し
それを「復興」と呼ぶ

 モノいわぬものたちは
   ずっとみつめている
   ずっと 私たちをみつめている

(大熊町下野上大野にて)

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ミニ絵本『はかないもの』より①

人がいなくなって
見た目は自然の楽園となったまち

(大熊町下野上大野にて)

2019年11月10日、浪江町権現堂。避難指示解除から2年半以上が過ぎても、浪江駅前にはまだまだこんな廃墟が残っていた。今は片っ端から解体され、駅東口では再開発計画も持ち上がっている。全てがなかったことにされる前に、記録していきたい。

2020年6月8日、双葉町山田。帰還困難区域。道路上は除染されており、1.0μSv/h程度。しかしバリケードの脇に立つだけで、線量計は一気に3.0μSv/h程度まで上がる。尤も、このエリアではこれは低い数値だ。

2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。黒い袋に詰め込まれたかつての福島県民の財産は、報道するだけで「風評加害」と罵られる。

2020年3月15日、双葉町長塚。東電新双葉社宅。どの双葉町民よりもいち早く情報を得てすぐに逃げた人たちの家。2022年8月30日避難指示解除。

2020年6月6日、双葉町新山。このクリーニング店はこの年の9月に解体された。この建物の写真をSNSにアップした朝日新聞記者が炎上したが、今はこの状態を描いたイラストレーションが双葉駅脇のステーションプラザふたばに展示されている。地元民の想いとSNSの自称福島県民の想いはかけ離れている。

2019年11月10日、福島県立浪江高校。2017年3月休校。ここもいずれは解体され、何もなかったかのように更地になるのだろう。

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