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ぼくなりにアライについて思ったこと 

ぼくも憂華も"特別扱い"をされたくて"カムアウト"したわけでもないし、理解できないなら理解出来ないでいいのに、
「私は理解(したつもり)してあげられて特別扱いもしてあげられてる」
という、1個前のトゥートの"アライの皮を被った偽アライ"が存在するということ。
ぼくも憂華も(ぼくに関しては最近自認し始めたばかりだし)、Twitterの相互フォロワーには黙っていたけれど、"自分らしく"というか(少なくともぼくは)、振る舞いたくてある種の"自分自身を大切にする"という事なのかなとぼくなりに思っている。(まだ探り探りではあるが。)

言葉を上手にまだまとめられるほど経験がないが、そういった意味では手探りでもカムアウトされても"ぼくをぼく"として扱ってくれる憂華や、家族、本当のアライだと思える周りの方、同じくLGBTQ+の方には、本当に感謝でしかない。

ぼく自身、自認してからやっと本当の意味で憂華の気持ちがもっと理解できるようになったので、まだこういった内容の言葉選びが稚拙だったりするかもしれませんが、お許しください。

みなさんは、仲良くしたいのに前述したような方だと気づいた時にはどう対処しているのかご意見お伺いしたいです。

ぼくなりにアライについて思ったこと 

「霜芭は霜芭だもん」「憂華は憂華だもん」と言ってくれたから、味方だと思っていた相手に「女の子」扱いだったり、恋人に関しては「男の子」扱いされること、こういったケースは「トランス差別」には当てはまらないのですか?
ぼくの理解が間違ってたら教えてください。
長々と連ねてしまったけれど、ぼくが言いたいのは「縁を切るか悩むくらい傷ついたりするけれど、ジェンダーのことを抜きにすれば仲良くしたい相手とどう関わっていけばいいだろうか」ということです。

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